第580回 ポルトガルと3度目の準決勝対決(1) 伝説のポルトガル戦、1984年6月23日マルセイユ

■パリで歓喜するポルトガル人

 優勝候補筆頭のブラジルを破ったフランスの準決勝の相手はポルトガルである。フランスとポルトガル、正確に言うとパリとポルトガルの関係は親密である。なぜならば、ポルトガルから多くの移民がパリに移り住んでいる。パリのアパルトマンのコンシェルジュのほとんどはポルトガル人であると言われている。パリはリスボンについで世界で2番目にポルトガル人の住む都市であり、週末になると凱旋門周辺にポルトガル人が集まり、ポルトガルリーグの勝敗予想、そして結果について熱く議論している。ちなみにフランスで最も読まれているスポーツ新聞はレキップであるが、2番目はポルトガルのスポーツ紙である。
 今回のフランスの準決勝進出に国内は沸いているが、パリではポルトガルの準決勝に歓声が上がり、準決勝のキックオフを今か今かと待ちわびているのである。

■過去の対戦成績はフランスが有利

 母国の40年ぶりの準決勝に歓喜するパリのポルトガル人であるが、ポルトガルはフランスにどうしても勝てない。これまでの両国の対戦成績はフランスが15勝1分5敗と大きく勝ち越している。しかもポルトガルがフランスに勝ったのはいまから30年以上前の1975年のことである。両チームには今回が最後の国際大会と意気込むベテラン選手が多いが、彼らがちょうど生まれた前後に行われた試合である。また、この時はフランスのホームゲームであったが、パルク・デ・プランスはまだサッカー場として改装されておらず、コロンブで試合が行われた。すなわち、ポルトガルはパルク・デ・プランス時代は勝利を経験できず、スタッド・ド・フランス時代になっても長いトンネルを抜け出していない。

■対照的な道のりでたどり着いた1984年欧州選手権準決勝

 1978年以降はフランスの7連勝という一方的な対戦成績になっているが、特筆すべきことがある。それは両国が親善試合以外で対戦したのはわずか2回、それがいずれも欧州選手権の準決勝であり、この2度の対戦がいずれも欧州選手権史上に残る名勝負となっていることである。最初の対戦は1984年フランス大会である。地元開催で優勝を狙うフランスは開催国として予選を免除され、グループリーグではデンマーク、ベルギー、ユーゴスラビアに3連勝して準決勝に進出する。一方のポルトガルであるが、予選ではソ連、ポーランド、フィンランドと同じグループに入り、フランス行きのチケットはわずか1枚。多くの人々がパリへの道は険しいと抽選が決まった段階で思ったが、ポルトガルイレブンの同胞の待つパリへの想いが勝ったのか、ポルトガルは強豪相手に着実に勝ち点を重ね、4勝1敗の勝ち点8で最終戦を迎える。わずか1枚のチケットをめぐる最終戦の相手は4勝1分、勝ち点9のソ連であり、ホームのポルトガルは勝てば逆転してフランス行きが決定する。この試合をポルトガルは見事制したのである。本大会のグループリーグでもポルトガルは悪戦苦闘する。西ドイツ、スペインと引き分け、最終戦を迎える。この段階で西ドイツが勝ち点3、ポルトガルとスペインが勝ち点2、ルーマニアが勝ち点1と混戦模様となった。
 最終戦でポルトガルはルーマニアに勝ち、スペインも西ドイツに勝つ。イベリアの2国が勝ち点4、得失点差+1で並んだが、総得点の多いスペインがグループ1位、ポルトガルが2位となる。

■延長の激闘にピリオドを打ったミッシェル・プラティニ

 対照的な道のりを歩んできたフランスとポルトガルは6月23日にマルセイユのベロドローム競技場で対戦した。満員のベロドロームは三色旗で埋め尽くされ、ポルトガル同胞の姿は数えるほど、大歓声を背にしたフランスは25分にジャン・フランソワ・ドメルグのFKで先制点、ポルトガルも74分に追いつく。そして試合は延長戦へ。延長戦で先手を取ったのはポルトガルの1点目を上げたルイス・マニュエル・ジョルダンであった。
 しかし98分にリードを許しても疲れを知らぬマルセイエーたちの応援は止まらない。延長後半に入った115分、ドメルグが同点ゴールを上げる。ドメルグ、ジョルダンが2点ずつゴールを決め、PK戦かと思われた119分、試合にピリオドが打たれた。ジャン・ティガナのセンタリングを決めたのはミッシェル・プラティニであった。(続く)

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