第899回 前半の天王山、ルーマニア戦(2) 試合直前に主将パトリック・ビエイラが負傷で離脱

■試合の直前に2人を追加招集

 10月11日のルーマニア戦に向けてフランス代表は7日からクレールフォンテーヌで合宿に入ったが、ニコラ・アネルカは所属チームのチェルシーで負傷したため満足な練習ができず、ラッサナ・ディアラは負傷のため合宿を離れる。さらにウィリアム・ギャラスの調子も芳しくない。そこで試合の3日前の8日にレイモン・ドメネク監督はジャン・アラン・ブームソン、ジミー・ブリアンの2人をクレールフォンテーヌに呼び寄せた。この2人はいずれも9月のオーストリア戦、セルビア戦のメンバーではなく、久しぶりのクレールフォンテーヌである。23歳でジミー・ブリアンのレンヌの選手である。昨年5月に行われたウクライナ、グルジアとの連戦の際にフランス代表入りしたが、その時は試合に出場できず、その後も代表チームに招集されながらいまだに代表キャップはゼロであり、欧州選手権後の新チームになってから初のフランス代表入りである。一方のブームソンは8月のスウェーデン戦以来の代表復帰である。9月に選出されなかったメンバーをアウエーでの試合の3日前に招集するところもドメネク監督の危機感がよく現れている。

■フランスよりも選手の世代交代の進んだルーマニア

 一方のルーマニアであるが、フランスに遅れること2日、試合のちょうど1週間前の10月4日に22人のメンバーを発表している。ルーマニアはフランスとともに欧州選手権ではグループリーグで敗退しているが、欧州選手権にエントリーした23人のメンバーの内、今回のフランス戦にも登録している選手は10人しかいない。一方のフランスは戦線離脱したラッサナ・ディアラを含めると13人が生き残っており、フランスもルーマニアも選手が大きく若返っているが、ルーマニアの方がグループリーグ敗退を重く見ているのであろう。

■フランスと交流の深いルーマニアも自由化から19年

 フランスとルーマニアの過去の戦績は7勝2分3敗であり、これがワールドカップの予選ならびに本大会での初顔合わせとなる。ルーマニアはフランスとは長い交流のある国であるが、ワールドカップでの対戦経験がないことは不思議に思われる読者の皆様も少なくはないであろう。
ルーマニアと言えば1989年の年末、当時の東欧の自由化の波を受けてニコラエ・チャウチェスク大統領が人民によって処刑された。その公開処刑の模様はホームビデオで録画されたが、この映像を全世界に配信したのがフランスの放送局であり、フランスのテレビ局からインタビューを受けた市民が流暢なフランス語で答えていたあの日から早くも19年が経っている。そしてチャウチェスク政権下のルーマニア市民の生活を描いた映画「4ヶ月、3週と2日」が昨年のカンヌ映画祭で最高の栄誉であるパルムドールを受賞し、フランスでも大ヒットした。若返った両国の選手でこのチャウチェスク政権時代を覚えている選手は数少ないであろう。

■試合前に離脱したビエイラを欠いた布陣で大一番を迎える

 ワールドカップ予選前半の天王山となるルーマニア-フランス戦は黒海に臨む港町のコンスタンツァで行われる。横浜の姉妹都市であることから日本の皆様もよくご存知の都市であろう。しかしながらサッカー場はわずか1万2000人しか収容できず、この試合は超満員となった。
 試合に先立ち、メンバー交換が行われた。フランスのメンバーはスティーブ・マンダンダ、バカリ・サーニャ、ブームソン、エリック・アビダル、パトリス・エブラ、パトリック・ビエイラ(主将)、ジェレミー・トゥーララン、フランク・リベリー、ヨアン・グルコフ、フローラン・マルーダ、ティエリー・アンリとなっていたが、試合前のウォーミングアップでビエイラが負傷してしまう。ビエイラは欧州選手権でも負傷を抱えながらメンバーに入り、チームに帯同して負傷から回復して決勝トーナメントで戦うことを熱望したが、かなわず、今回の予選、特にルーマニア戦にかける思いは強いはずであった。さらにチーム最年長であり、ルーマニアの自由化時には13歳、多感な少年がテレビで見たルーマニアの状況はその後の度重なる政治的な発言の原体験ともなっているはずであろう。
 フランスは欧州選手権と同様、主将を任せるはずのビエイラを欠いた布陣でルーマニアと対戦しなくてはならなくなったのである。(続く)

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