第3117回 モロッコに勝利、決勝へ (4) サッカーの神様、ラルビ・ベンバレク

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■アフリカのサッカーの歴史を切り開いたモロッコ

 連覇を目指すフランスが準決勝で対戦するのは、アフリカ勢で最初の準決勝進出となったモロッコである。これまでの本連載ではモロッコのワールドカップの歴史、そして今大会での準決勝までの道のりを紹介してきたが、今回と次回は肝心のフランスとモロッコのサッカーについて紹介しよう。
 アフリカの多くの国は1950年代から1960年代にかけて独立し、あわせて正式な代表チームを結成し、FIFAに加盟し、ワールドカップ予選にエントリーした。
 モロッコは1970年大会にアフリカの代表として初めてワールドカップに出場(本連載第3114回で紹介した通り1934年大会のエジプトが出場した時代は欧州の一部として予選突破)、さらに1986年大会ではアフリカ勢として初めてグループリーグを突破した。

■フランスの保護領時代から強豪だったモロッコ

 モロッコはカルタゴのフェニキア人が入植し、元々山間部で生活していたベルベル人とともにイスラム文化の中で王朝を築いた。ところが19世紀になると欧州の帝国主義の脅威にさらされ、スペイン、ドイツ、英国も干渉するが、結局1912年に国土の大部分がフランスの保護領となり、フランス領モロッコとなった。フランスはモロッコの王朝の権能を残したままで支配することになったが、フランス領モロッコは国家として独立していないため、正式には代表チームとは言えないが、モロッコ選抜チームを結成し、北アフリカの同等のチームと対戦し、主役であった。またフランス代表のAチーム(代表同士ではないので、フランスAと表記)やBチームとも対戦して、勝利することもあり、その強さは本物であった。

■フランス代表として記録を持つラルビ・ベンバレク

 この時代にモロッコが輩出した名選手がラルビ・ベンバレクである。1914年にモロッコで生まれ、1938年にマルセイユに移籍、同年12月にはフランス代表入りする。代表デビュー戦は12月4日、ナポリでのイタリア戦であった。この試合、ベンバレクはイタリアのファンからブーイングを浴びるが、試合前の国歌演奏でラ・マルセイエーズを歌うシーンがフランスで報道され、フランスのファンの心を打ったのである。この試合でフランスはイタリアに勝利するが、フランスがアウエーでイタリアに次に勝利するのは1994年まで半世紀以上待たなくてはならないのである。
 ベンバレクは第二次世界大戦をはさみ、1954年10月の西ドイツ戦まで代表戦17試合に出場する。16年間にわたり代表で戦ったのはフランス代表史上最長である。さらに西ドイツ戦出場時は37歳4か月、これはフィールドプレーヤーとして最年長での出場記録である。なお、GKはベルナール・ラマの37歳5か月という記録をグループリーグのチュニジア戦で37歳8か月のスティーブ・マンダンダが更新したばかりである。惜しむらくはベンバレクがフランス代表入りしていた期間にフランスはワールドカップに出場してすることができなかった。また、クラブレベルにおいても、ベンバレクはマルセイユだけではなくスタッド・フランセ、スペインのアトレチコ・マドリッドに所属したが、この時代にはチャンピオンズリーグの前身のチャンピオンズカップも行われていなかった。
 1958年と1962年のワールドカップでブラジルを連覇に導いたペレは「私がサッカーの王様であるならば、ベンバレクはサッカーの神様である」という言葉を残した。フランス人にとってサッカーの神様はジーコでもディエゴ・マラドーナでもなくベンバレクなのである。

■モロッコ代表が初めてフランス国内で試合をした1970年ワールドカップ予選

 ベンバレクの引退と機を同じくしてモロッコが独立する。モロッコは1970年にワールドカップ本大会に初出場を果たしたが、アフリカ二次予選でチュニジアと対戦、アウエーの第1戦はスコアレスドロー、ホームの第2戦でも延長でも得点なく、中立地でプレーオフを行った。この時に試合会場として選ばれたのが、かつてベンバレクが活躍したマルセイユであった。試合は延長戦を戦っても2-2のドロー、抽選でモロッコが三次予選に進出したが、これはモロッコ代表が初めてフランスで試合をした機会なのである。(続く)

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