第3646回 パルク・デ・プランスでワールドカップ出場決定(1) パルク・デ・プランス、11月13日
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■ウクライナに勝利すればワールドカップ出場の決まるフランス
9月から始まったワールドカップ予選、欧州予選のグループDのフランスは10月の第4節を終えた時点で3勝1分で勝ち点10の首位、2位のウクライナは勝ち点7、3位のアイスランドは勝ち点4、4位のアゼルバイジャンは勝ち点1である。首位になれば本大会出場、2位になればプレーオフ出場となるフランス、予選最後となる11月の連戦はまず13日にホームでウクライナと対戦し、16日にアウエーでアゼルバイジャンと対戦する。フランスはウクライナ戦で勝利すればワールドカップ出場が決定する。
■パルク・デ・プランス時代の予選のメンバーだったディディエ・デシャン監督
このウクライナ戦、ディディエ・デシャン監督の心の中には期するものが2つあった。まず、今予選がホームゲームをスタッド・ド・フランスではなく、パルク・デ・プランスで行われるということである。1998年にスタッド・ド・フランスが完成して以来、他のスポーツイベントと重なった時などはパルク・デ・プランスを臨時的に使用したこともあったが、フランス代表はパリでのホームゲームはスタッド・ド・フランスを使用してきた。
ワールドカップ予選とパルク・デ・プランスの関係であるが、1998年のワールドカップは開催国であるため、予選免除となったため、最後のパルク・デ・プランスでのワールドカップは1994年大会であるが、この時はパルク・デ・プランスでの最終戦でブルガリアに敗れて予選落ち、その前の1990年大会は序盤から不振で終盤持ち直したが予選落ちとなっている。
選手時代のデシャン監督が代表入りしたのは不振にあえぐ1990年大会の予選期間中、1990年大会予選の終盤の試合には出場しており、1994年大会予選は主力メンバーとして出場しており、パルク・デ・プランスで行われたワールドカップ予選では2回とも苦い思い出がある。パルク・デ・プランスで久しぶりに行われるワールドカップ予選に32年の時を超えて今度は監督として臨み、三度目のチャレンジに選手以上の闘志を燃やしているであろう。
■10年前の11月13日に起こったパリ同時多発テロ
そしてもう一つはこの試合が11月13日に行われるということである。本連載の読者の方であれば、この日付を目にして辛い思いをされるであろう。10年前のこの日、パリ同時多発テロが起こったのである。同時多発テロについてはパリ近郊のサンドニにあるスタッド・ド・フランスも標的となり、本連載第1935回と第1936回で紹介している。この日、スタッド・ド・フランスではフランスとドイツの親善試合がフランスのフランソワ・オランド大統領とドイツのフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー外務大臣が臨席している中で行われたが、スタジアムの外ではテロにより貴重な命が失われている。そのような異常事態の中で選手、観客にはテロの発生を知らせることなく、安全を確保して試合は完全に実施されたが、その後は大混乱、そしてパリ市内では大規模なテロが起こっており、全部で132人(第1935回と第1936回公開時は129人)の犠牲者が出た。
■スタッド・ド・フランスでドイツと戦っていたチームを率いたデシャン
この試合はフランスが勝利したが、この時も監督を務めていたのがデシャンなのである。
同時多発テロはイスラム国が犯行声明を出し、フランス成否は非常事態宣言を発出した。フランスは米国、ロシアとともにイスラム国を攻撃、イスラム国はその勢力は失ったが、今でもアフガニスタンに拠点を移し、テロ活動は続いている。また、フランスを含む欧州ではシリア、アフガニスタンなどから100万人ともいわれる難民が押し寄せた。このイスラム諸国からの難民の増加が現在の欧州各国での極右政党の躍進につながっている。
それから10年、2025年11月13日、パリ市内各所では追悼式典が行われた。エマニュエル・マクロン大統領はテロとの戦いを誓ったが、それは逆にテロがいまだに市民の脅威となっていることを示している。
デシャン監督は、30年以上前の選手としての苦い思い、そして10年前の市民としての恐怖、この2つの思いを背負ってワールドカップ出場を目指すのである。(続く)
