第3649回 パルク・デ・プランスでワールドカップ出場決定(4) ウクライナを圧倒、前大会に続きパルク・デ・プランスで歓喜

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■前半ウクライナにシュートを許さなかったフランス

 パリ同時多発テロから10年という節目の日にキックオフされたワールドカップ予選のフランス-ウクライナ戦、序盤からフランスが攻め続けるが、ウクライナの守備陣が先制点を許さない。
 フランスが一方的に攻め続け、41分にはブラッドリー・バルコラが決定的なシュートを放ったが、ウクライナのGKアナトリー・トルビンがCKに逃れる。前半はフランスのシュート10本に対し、ウクライナは1本もシュートを放つことができなかった。フランスが1本もシュートを打たれずにハーフタイムを迎えるのは10月のアゼルバイジャン戦以来のことである。フランスは前半だけでキリアン・ムバッペとバルコラがポストにシュートを当てている。フランスの攻撃のキーマンとなったのがラヤン・シェルキであった。10本のシュートのうち4本を放ち、3本はラストパスを供給する。前半のフランスのボール支配率は75%、圧倒的な支配率を誇るがスコアは同点で後半に入る。

■パネンカでPKを決めたキリアン・ムバッペ

 の立ち上がりの49分、ウクライナはスローインからペナルティエリア内にボールを入れる。イエホル・ナザリナがダヨ・ウパメカノに接触され、倒れる。主審はPKの笛を吹かなかったがVARでの判定となる。VARの結果、PKは認められず、パルク・デ・プランスのファンは安堵する。
 ウクライナのPKが認められずに試合続行、その直後の54分にミカエル・オリーズがペナルティエリア内で倒される。今度は主審はペナルティスポットを指さす。フランスのPKのキッカーは主将のムバッペである。この日絶好調でフランスのシュートを次々と跳ね返したトルビンの動きを読んでパネンカでPKを成功させる。これでムバッペは6試合連続ゴール。この記録は1990年9月から1991年10月までジャン・ピエール・パパンが記録した7試合連続ゴールに迫る数字である。このゴールで勢いづいたムバッペは58分、63分にもシュートを放つが、追加点はならない。

■ゴールラッシュで4-0で勝利、本大会出場決定

 フランスは67分に交代出場してきたウーゴ・エキティケ、マグネス・アクリウシュがすぐにゴールに迫る。フランスの追加点は76分、エンゴロ・カンテからのパスを受けたオリーズが決める。83分にはムバッペがゴール、プレー中にハンドがあったのではないかとVARが入ったが、得点を認められ、これで代表通算55得点目となったが、所属クラブでの特典もあわせ、通算400ゴールとなった。ムバッペは生涯通算100ゴール、300ゴールも代表戦で記録している。
 フランスの攻撃は止まらない。88分にはエキティケがトルビンの両足の間を通すシュートを決めて4-0とする。代表5試合目での初ゴールとなった。4-0で勝利したフランスはワールドカップ出場を決定したのである。

■40年前に決めたメキシコ大会、32年前に逃した米国大会

 前大会に続いて、フランスはワールドカップ出場をパルク・デ・プランスで決定した。4年前はスタッド・ド・フランスの最寄となる鉄道工事のため、パルク・デ・プランスで試合を行った。4年前も11月13日に試合が行われ、試合前にはパリ同時多発テロの犠牲者のために黙祷がささげられた。試合はムバッペが4ゴールの大活躍、フランスがカザフスタンを8-0と一蹴して本大会出場を決定した。
 1998年のスタッド・ド・フランスの完成前にさかのぼると、パルク・デ・プランスでの本大会出場決定は40年前の1986年大会予選となる。1985年11月16日のユーゴスラビア戦、この試合ではミッシェル・プラティニが開始直後の3分にゴール前でFK、ユーゴスラビアの6人の壁を越えるシュートを決めて先制点、さらに終盤にもプラティニが追加点を決めて本大会出場を決めた。1986年大会は今回の共催国となるメキシコで開催された。
 そしてフランスのサッカーファンにとって忘れられないのは1994年大会予選である。パルク・デ・プランスでの最後のブルガリア戦、試合終了直前に決勝ゴールを奪われ、予選落ちしたが、この時の開催国は今回の共催国の米国だったのである。それから32年、ディディエ・デシャン監督はパルク・デ・プランスで歓喜の瞬間を迎えたのである。(続く)

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