第12回 伝説の記憶 ―― 1984年スタッド・ベロドローム

 以前、このコーナーでパルク・デ・プランスの悲劇はなかったことを取り上げた。日本では「ドーハの悲劇」に対して「伝説のジョホールバル」という表現がある。それではフランスで伝説となっている試合はないか、というお問い合わせを早速受けた。

■「伝説のチーム」レアル・マドリッド

フランスのサッカー界でも「伝説」という単語がつくのは、欧州チャンピオンズカップで第1回から5連覇したレアル・マドリッドである。隣国スペインのチームでありながら、いまだに伝説のチームと言われている。特に第1回は、フランスから出場したランス(Reims)をパリ近郊のコロンブで行われた決勝で下し、その後40年近くフランスのチームが三大カップでタイトルをとれなかったことも伝説のチームと言われる理由であろう。
 レアル・マドリッドは、スペインサッカー界においてバルセロナと長い間二強時代を築いてきたが、最近はドリームチーム・バルセロナの陰に隠れ、欧州制覇どころかチャンピオンズリーグへの出場もままならず、カップウィナーズカップやUEFAカップで活躍する程度だった。しかし、新制度によって今回は久しぶりにチャンピオンズリーグに出場。5月20日にアムステルダム・アレナで行われた決勝でユベントス(イタリア)を1-0で下し、実に32年ぶりにヨーロッパ・チャンピオンに返り咲いたのである。

■レベルはワールドカップ以上といわれる欧州選手権

 ところで、伝説という形容詞がつかなくともフランス国民にとって今でも忘れられない試合はどの試合だろうか。それは1984年欧州選手権の準決勝のフランス-ポルトガル戦であろう。
 欧州選手権は日本ではそれほど話題にはならないが、欧州ではワールドカップと同等に扱われる重要な大会である。1996年のイングランド大会で本大会出場チームが16に拡大されるまでは、出場国はわずか8チーム(うち1チームは開催国)であった。予選突破はワールドカップより難しく、また本大会でもアジアや北中米といったレベルの低いチームが出場しないため、予選も本大会もワールドカップ以上のレベルの戦いが続く。
 他の国際大会同様、この大会もフランス人が提唱してできた大会であるが、フランスで開催するのは1984年が最初のことであった。1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会からミッシェル・プラティニを軸としたチームを作り上げ、期待も高まっていた。

■準決勝、対ポルトガル戦の死闘は伝説となった

 地元開催で初優勝を狙っていたフランスは、予選リーグでデンマークを1-0、ベルギーを5-0、ユーゴスラビアを3-2と三連勝する。予選リーグ1位となったフランスは準決勝に進出し、6月23日にマルセイユでポルトガルを迎え撃つ。ポルトガルはワールドカップでは1966年イングランド大会以外、特筆すべき成績を残していないが、欧州選手権では相性が良く、前回のイングランド大会でも活躍している。
 マルセイユは地中海に面した港町で独特の文化を構築している都市である。この町のオランピック・マルセイユは、今年が100周年という長い歴史を誇っている。1980年代後半にはベルナール・タピがオランピック・マルセイユの会長となり、見事に名門を復活させ、マルセイエー(マルセイユ人のこと)を熱狂させる。このラテン気質がこの準決勝を伝説的なものにした。もともと4万人しかキャパシティがないスタッド・ベロドロームには、それを大幅に上回る大会最高の54,848人の観衆が三色旗を手に集まり、選手の入場時から異常な熱気に包まれる。
 試合は、25分にフランスがジャン・フランソワ・ドメルグのFKで先制。スタジアムの興奮は醒めることを知らず、後半に入る。後半も終盤にかかり、残り15分近くになった74分、ポルトガルのFWルイス・マニュエル・ホルダンが同点ゴール。このまま90分が終了し、延長戦へと突入する。延長戦で最初にゴールを決めたのは再びポルトガルのホルダンだった。98分に勝ち越されたフランスは、延長後半になっても衰えることのない大歓声に後押しされながらもゴールを決めることができない。このままタイムアップかと思われた115分、同点ゴールを決めたのは、またもドメルグであった。そして延長後半もロスタイムに入り、PK戦に突入かというそのとき、ジャン・ティガナのセンタリングから決勝ゴールが生まれる。この決勝ゴールを決めたのは1978年からこのチームを支えてきたプラティニであった。

■6月12日、伝説の舞台スタッド・ベロドロームは新たな一歩を踏み出す

 この試合の4日後、パリのパルク・デ・プランスで行われた決勝の相手はスペイン。この難敵に対し、プラティニとブルーノ・ベローヌがゴールを決めて2-0の見事な勝利で優勝。フランソワ・ミッテラン大統領から優勝トロフィーを受け取ったプラティニの姿はあまりにも有名である。しかしながら、この欧州選手権でフランス国民の脳裏に焼き付いているのは三色旗に埋め尽くされた鈴なりのベロドロームに入場してきたフランスイレブンと、決勝ゴールを決めたプラティニの姿である。
 フランス代表が大一番を迎える度にこの試合のダイジェストが流れる。ブルーのユニフォームを着た者ならば、いつかあのような雰囲気の中で試合をしたいと願うのである。そして1998年6月12日、改装されたスタッド・ベロドロームでフランス代表はワールドカップの第一戦を迎え、新たな伝説への第一歩を踏み出すのである。

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