第31回 パリ・ベルシー多目的スポーツセンター

■パリの中でも大きく変貌を遂げているベルシー地区

 長い伝統を誇る城塞都市パリ、変化がないようであるが、少しずつ変化し、成長している。この数年間でパリの中で最も変化が大きい地域はどこであろうか。おそらく多くのパリジャンがセーヌ右岸の「ベルシー地区」をあげるであろう。パリ東部の12区。地図で見るとセーヌ川は南東から流れ、パリの中心で方向を変え、南西の方向に流れていく。上流から見て右側を右岸(リーブドロワ)、左側を左岸(リーブゴーシュ)と称する。この右岸の最も東側、パリ12区の河岸の部分がベルシー地区である。パリでも有数のターミナルであるリヨン駅を補完する位置づけのベルシー駅は貨物列車や臨時列車が発着するだけの駅であり、周囲も閑散としていた。
 パリ市は、ヴァンセンヌの森の入り口になるベルシー地区の都市再開発計画に取り組み、近年大きくその姿を変えたのである。この再開発計画は50ヘクタールに及び、ショッピングセンター、公園などが整備された。また、大蔵省も左岸の官庁街から移転するとともに、様々なハイテク装備をした国立図書館もこの地域に移転してきた。
 特に大蔵省の建物は一般の河岸の建物と異なり、建物の本体が川と垂直に伸びており、セーヌ川上から眺めた姿は圧巻である。ベルシーは今では大蔵省の通称となったのである。そして10月には国立図書館とマドレーヌを結びベルシーを通る無人運転の地下鉄14号線が開通し、パリジャンを驚かせた。

■欧州を代表する室内競技場

 しかし、スポーツ関係者にとってベルシーは大蔵省でもなければ国立図書館でもない。この再開発で最初に建造された巨大な建築、「パリ・ベルシー多目的スポーツセンター」(POPB)である。1972年にパルク・デ・プランスが自転車競技場から球技場になって以来、パリから伝統競技の自転車競技場がなくなった。また、市内の室内競技場は、東京オリンピックを控えた世界選手権で神永がヘーシンクに屈し、柔道の歴史を変えたクーベルタン体育館が最大であった。国際競技を開催することのできる大室内競技場に対する要望も強く、1984年にこのパリ・ベルシー多目的スポーツセンター(以下ベルシーと称す)が建設されたのである。
 ピラミッド型で高さ30メートルの柱4本に支えられたベルシーはアンドロー、パラ、ギュバンの共同設計の手になるものである。地下鉄6号線(ベルシー付近は地上を通過している)から眺めるとピラミッドの頂の部分は芝生でおおわれている。大蔵省に隣接していることもあり、外からの眺めは巨大な建造物には感じられないが、内部に入るとその巨大さに圧倒される。収容観客数最大1万7千人。座席はすべて背もたれとひじ掛け付きというぜいたくな仕様である。

■自転車、バレー、バスケットから陸上、柔道、モトクロスまで

 しかし、巨大さや座席の質よりもベルシーの誇るべきは「多目的スポーツセンター」という名にふさわしく、行われる競技の多様さである。自転車競技に始まりバスケット、バレーボール、ハンドボールの室内球技は言うに及ばず、室内陸上、柔道などもいとも簡単に行う準備をすることができる。800トンの土砂を運び込んでモトクロスの大会も開催される。
 ウィンタースポーツにも利用され、1989年にはフィギュアスケートの世界選手権が開催され、伊藤みどり選手が見事栄冠に輝いた。毎年2度のフィギュアスケートの大会が開催される。さらにフランス代表サッカーチームが2度に渡りスキー合宿を行ったティーニュからトラック32台で新鮮な雪を運送し、スノーボードの大会も開催されている。また、スポーツ以外にもコンサートでビッグアーチストが観客を熱狂させることもしばしばある。

■ベルシーを代表するイベントはテニスのパリオープン

 このように多様なスポーツやコンサートで利用されるが、なんと言ってもこのベルシーを代表するイベントは11月の第1週に開催されるテニスのATPツアーのパリオープンであろう。パリのアウトドアが春のローランギャロスであるならばインドアは秋のベルシーである。今年で13回目を迎え、歴史は浅いものの、インドアの大会としてはATPツアーの中で最高の評価を得ている。また、インドアの大会なので天候に左右されることもなく、試合が深夜、場合によっては翌日まで続くことも珍しくない。大会開始の5日前から設営にとりかかり、ベルシーの年間イベントの中で最も準備に時間がかかるという点からもこの大会の規模がおわかりであろう。
 この大会はフランスで諸聖人の祝日というカトリックの祭日である11月1日の前後に行われるが、この日は日本の彼岸のように普通のフランス人は墓参をする。ちょうど9月から始まり12月に終わる学期の中間と言うこともあり、学校はこの11月1日の前後が1週間の休みとなる。学校が休みとなる1週間にあわせて行われるパリオープンでは、観客動員もテレビの視聴率もかなり期待できる。3年前まで10月中旬に東京でインドアのセイコースーパーテニスが行われていたが、セイコースーパーに世界ランキング上位者が集ったのは翌々週のパリオープンに備えるために同条件のインドアで調整をかねて前哨戦としてエントリーしていたからである。
 このトーナメントのフランス人の唯一の優勝は1991年大会のギ・フォルジュであり、今年も早々とフランス勢は敗退した。結局、来季のワールドグループ昇格をフランスとともに決めたばかりの英国のグレッグ・ルゼドスキーが優勝したが、今年もパリジャンはベルシーで連日深夜までテニスを楽しんだ。
 ところで、このベルシーとサッカーの関係はどうなっているのだろうか。実は不定期であるがベルシーを使ってフットサルの大会が開催される。年末年始のオフの間に大会が行われ、プロの妙技を楽しむこともあるがなかなか定着しない。やはりフランス人はサッカーは11人で屋外で楽しむものと思っているようである。

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