第5回 フランス代表選手の「パリ症候群」

■パリ出身の選手ですら、パリで試合をしたがらない理由はどこに

 前回はフランス代表のパリとパリ以外でのホームゲームの成績に大きな差があることを指摘したが、なぜパリで成績が振るわないのであろう。
 1993年の春、当時のフランス代表の選手約20名にホームゲームの開催地をアンケートしたところ、一人を除く全選手がパリで試合をしたくないと回答した。当時パリサンジェルマンはUEFAカップでベスト4に進出し、フランスカップを獲得するなど実力を蓄え、パリサンジェルマンからも代表チームに数人が選出されていた。欧州では代表チームの試合があるとき地元選出の選手の好プレーにはひときわ大きな歓声が上がるが、地元以外の選手の凡プレーには時としてブーイングの嵐となることを前回紹介したが、地元パリの選手ですら試合をしたくないという理由はなにであろう。

■移り気、せっかち、不親切、言葉の壁・・・

 数年前「パリ症候群」(太田博昭著、トラベルジャーナル社)という書籍が日本でも話題になった。著者の太田博昭氏はパリ在住の精神科医で邦人医療相談室を開設し、パリに渡航する邦人の精神保健対策システムを構築した実績がある。この書籍の中で海外で邦人(居住者および旅行者)が精神的なトラブルが発生する確率はパリが圧倒的に高く、著者自身の豊富な経験を踏まえて解説し、この現象を「パリ症候群」と名付けている。
 この原因としてはフランス(特にパリ)に渡航したり、居住する邦人は精神的に不安定になりやすい自由業、学生、女性などが他の地域に比べて多いこと、他の国と比べてフランス語という言語の壁があることなど指摘されているが、フランス人、パリジャンの気質にも言及されている。
 それによると、フランス人はラテン人気質で気分が変わりやすく、その中でもパリ人は不親切でせっかちで気取っている。言葉の壁に加え、大都市の宿命であるぎすぎすした人間関係に悩む日本人(外国人)は少なくはないであろう。

■熱狂的でないばかりか、強烈なブーイングにつつまれるスタジアム

 パリで成績が振るわないフランス代表のイレブンも同じように「パリ症候群」に襲われている。
 パリジャンの気取った態度はスタジアムでも変わらない。熱狂的に我を忘れてスタジアムとグラウンドが一体となって応援するところまでなかなかいかない。一方、ぎすぎすした日常の人間関係がそのままフラストレーションとなり、スタジアムで発散される。ドイツなどのフーリガンが政治的な背景を持っているのに対し、パリのフーリガンは特定の政治的な背景を持たず、純粋に日頃のパリ生活の不満をフィールドの選手や警備の警官にぶつけている。したがって、フランス代表であろうと、パリサンジェルマンであろうとパルク・デ・プランスでは敵味方関係なく、凡プレーには否応なしにブーイングが浴びせられる。
 先述のアンケートでパリで試合を行いたくないと回答したほとんどの選手はその理由を「熱狂的な応援が期待できず、しかも時としてブーイングが浴びせられるから」と説明している。精神的にも肉体的にも強靭であるフランス代表のイレブンですらこのような弱音を吐くのである。
 鹿島アントラーズからパリサンジェルマンに移籍したレオナルド(現在はACミラノ)も相当ブーイングには悩まされた。また、フランス代表に入りながらパリのファンからの厳しい評価に耐えられず、精神的に変調を来したパリサンジェルマンの選手もいる。

■地方からパリに出てきたフランス人ですらカルチャーショックに襲われる街

 このような問題に加え、アメリカワールドカップ予選での決定的な連敗を機にホームゲームはパリ以外の都市を中心に開催されることになった。1993年11月17日のブルガリア戦で負けてから首都パリを去ったフランス代表がパリのパルク・デ・プランスに戻ってきたのは、ほぼ2年後の1995年8月16日のポーランド戦(1-1で引き分け)であり、この試合もブーイングにつつまれた。
 パリを歩いている日本人がフランス人から道を尋ねられているシーンをよく見かける。日本やフランスの他の町では見られない光景である。これは地理を熟知しているパリジャンよりも地理には多少不案内でも日本人に尋ねた方が親切に答えてくれるからであるという。地方からパリに出てきたフランス人ですらカルチャーショックに襲われる町、それがパリである。
 しかし、心あるフランス人は「パリを見て、これがフランスだ、と思わないで欲しい」と言う。フランスの本当のすばらしさは地方都市にある。フランス代表同様、日本代表もツールーズ、ナント、リヨンですばらしい成績を残してもらいたいものである。

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