第66回 カメルーン、アフリカ選手権を制す

■4チームが勝ち点で並んだ激戦区、グループA

 1月22日に開幕した第22回アフリカ選手権の3週間にわたる戦いのフィナーレは、ナイジェリアとカメルーンという夢のカードとなった。いずれが勝っても三回目の優勝。日陰でも30度を越すという暑さの中での決勝に今大会最高の7万人の観衆が集まった。
 ここまでの両チームの足どりを振り返ってみよう。グループAのカメルーンは開幕戦で開催国のガーナと対戦、グループリーグ屈指の好カードとなった。カメルーンはアクラの国立競技場の4万人の観衆を敵に回し、19分にランス初優勝時に貢献し現在ウェストハムに所属するフォエが先制ゴールをあげる。しかし、ガーナは英雄アベディ・ペレの弟のアユーが56分に追いつき、試合は結局ドローに終わる。強豪同士の戦いは勝ち点1ずつを分け合った。
 激戦区と言われたグループAはその後意外な展開となり、とんでもない問題まで引き起こした。
 残りのコートジボワールとトーゴが1-1で引き分け、第1戦を終えて4チームが並ぶ。第2戦ではガーナはトーゴに2-0、カメルーンはコートジボワールに3-0と完勝し、この両チームが優位に立って、最終戦を迎えた。ところがガーナはコートジボワールに0-2、カメルーンはトーゴに0-1と敗れ、4チームとも1勝1分1敗の勝ち点4で並んでしまった。結局得失点差で1位カメルーン(+2)、2位ガーナ(0)となり、この2チームが決勝トーナメントに進出した。

■コートジボワール選手が軍事訓練に!

 問題が起こったのはここからである。コートジボワールは最終戦で地元の強豪ガーナを破ったが、得失点差(-1)で及ばず、グループリーグ敗退となった。彼らにはコートジボワール協会が用意した特別機が待っていた。しかし、その特別機が着陸したのは家族の待つアビジャンから300キロ離れたヤムスクロの軍隊のベースキャンプであった。
 このベースキャンプで選手は強制的に軍事訓練を受けさせられた。選手には前もって知らされないというハプニングであった。翌日になって昨年12月24日以来政権を握っている軍事政権が、この軍隊への強制入隊は予選落ちという結果に不満なファンから選手を保護するという名目で行われたと発表した。コートジボワール出身で浦和レッドダイヤモンズに在籍し、2006年ワールドカップをアフリカに招致するために活躍しているバジル・ボリもベースキャンプを訪れ、遺憾の意を表明している。
 この軍事訓練に反発したのはまず選手の家族であり、そして選手の生活の場であるクラブであった。規定によるとアフリカ選手権に出場した選手は最後の試合から48時間後にはクラブに戻らなくてはならない。22人のコートジボワールの選手のうち7人はフランスのクラブに所属しており、フランスのクラブは選手の解放を求めた。結局選手はベースキャンプで二夜を過ごし、解放される。しかし、この事件に対し、選手のほとんどが所属する欧州のクラブは不信感を示し、4月のワールドカップ予選のルワンダ戦の際にコートジボワール代表に選手を戻さない可能性も強い。

■興奮した観衆がグラウンド内になだれ込むハプニング

 一方、ナイジェリアはもう一つの激戦区グループDに属し、まず第1戦でチュニジアを4-2と一蹴。しかし、第2戦のコンゴ共和国戦は0-0のスコアレスドロー。最終戦は同じく1勝1分で勝ち点4のモロッコと対戦する。モロッコに2-0で快勝し、勝ち点7でグループDの首位となった。モロッコはチュニジアに得失点差で抜かれて3位となり、グループリーグ敗退。1995年以来代表監督であったアンリ・ミッシェルは解任された。
 決勝トーナメントに入り、カメルーンは準々決勝でアルジェリアを2-1と下し、準決勝の相手は準々決勝でPK1本でエジプトに勝ったチュニジア。パトリック・エムボマが2ゴール、エトーが1ゴールを決めチュニジアを3-0を粉砕する。カメルーンはグループリーグから準決勝まですべてアクラで戦ってきており、決勝戦で初めてもう一つの国、ナイジェリアの地を踏むことになる。
 ナイジェリアもグループリーグトップとなり、地元ラゴスにとどまるアドバンテージを得る。準々決勝の相手のグループCで2位のセネガルには7分に先制点を許し、その後ノーゴールが続く。ここまでかと思われたが、ババンギダに代わって途中出場した17才のアグハホワが84分に同点ゴール。ロスタイムに入りオリセーのシュートが止められ、試合は延長戦に突入。
 延長開始直後の92分、再びアグハホワがゴール。興奮した観衆はゴールデンゴール方式と勘違いし、フィールドになだれ込んだ。ワールドカップフランス大会で採用されたゴールデンゴール方式はその後定着せず、本大会も延長は前後半15分ずつ試合をすることになっていたが、勘違いしたファンのために試合は10分間中断し、このためアフリカサッカー連盟はナイジェリアに5000ドルの制裁金を課した。再開後もナイジェリアは落ち着いた試合運びを見せ、準決勝に進出した。
 ナイジェリアの準決勝の相手は前々回優勝の南アフリカ。オコチャを出場停止で失い、苦戦が予想されたが、開始早々にババンギダが先制ゴール。34分に同じくババンギダが追加点。完勝し、決勝に駒を進めた。

■熱戦のファイナルはPK戦にもつれ・・・

 さて、決勝は地元ナイジェリアが試合を支配するが、イージーミスが連続して27分にカメルーンのエトー、30分にはエムボマのゴールを許す。カメルーンはシュート数2で2点を取り、守備も元メッスで現在リバプールに所属する主将ソングを中心に安定していた。
 しかし、1981年以来国内で負けなしというナイジェリアも意地を見せる。前半終了間際の44分にはフィンディのセンタリングをチュキュが決め、名将ボンフレールはハーフタイムに得点したばかりのチュキュをアグハホワに交代。この交代がナイジェリアのリズムを変える。後半開始直後の47分には帰ってきたオコチャが25メーターのスーパーボレーを決めて同点。ボルドーのフランスリーグでのファーストゴールを想起させるすばらしいゴールにボルテージはあがる。
 しかし、その後試合は一進一退。70分を過ぎると運動量も少なくなり延長戦に突入。延長戦でも両チームはゴールネットを揺らすことなく、結局PK戦にもつれ込んだ。5人中4人が成功したカメルーンに対し、ナイジェリアは5人中2人が失敗した。フランス人監督ピエール・ルシャントルが率い、フランスのクラブに所属する6人の選手を擁するカメルーンが夢のファイナルを制し、1984年、1988年に続く三回目のタイトルを獲得したのである。

このページのTOPへ