第83回 フランス万歳! シドニーでの大活躍

■341人の選手団で合計38個のメダルを獲得

 今世紀最後のスポーツの祭典、シドニーオリンピックが幕を閉じた。パリとシドニーの時差は9時間。フランスのテレビでは深夜から午前中にかけて生中継され、フランス選手団の活躍は多くの国民を熱中させた。17日間の熱戦でフランスは金13、銀14、銅11の合計38個のメダルを獲得した。これは前回の1996年アトランタ大会の37個(金15、銀7、銅15)をしのぐ第二次世界大戦後最高の成績である。戦前までさかのぼっても、第2回にあたる1900年パリ大会の97個(金27、銀40、銅30)は別格として、1920年アントワープ大会の41個(金9、銀19、銅13)に続き、1924年パリ大会の38個(金13、銀15、銅10)と並ぶ成績である。
 100年以上の夏季オリンピックの歴史で金メダルを160個獲得(アメリカ、ソ連、イギリスに次ぐ歴代4位)しているフランスであるが、今世紀後半の1952年大会以降で金メダルを二桁獲得した大会はアトランタ大会と今大会だけである。1960年ローマ大会では金メダルは0で総獲得メダル5、1964年東京大会ではメダル総数15個とまずまずであったが、金メダルは馬術の個人大賞典障害飛越(ルツール号に騎乗したP.J.ドリオラ)だけであった。しかしながら、1992年バルセロナ大会(金8、銀5、銅16)から勢いづき、今回の好成績につながったのである。
 今回、シドニー入りしたフランス選手団の選手は341人で、前々回のバルセロナ大会の352人には及ばないものの、前回のアトランタ大会の309人を上回る規模である。平均年齢は27.1才であり、アトランタの26.5才、バルセロナの22.5才、ソウルの25.3才などを上回っている。3分の1以上の122人はすでにオリンピック出場の経験があり、1割以上の38人はすでにメダルを獲得した経験がある。
 資金的な援助については国家が90パーセントを負担することになっており、過去4年間でスポーツ・青年省は今大会の準備のために20億フラン(現在の為替レートでは300億円)を費やしている。またメダル獲得者に対する報奨金も金メダル25万フラン(375万円)、銀メダル12万フラン(180万円)、銅メダル8万フラン(120万円)となっている。

■フェンシングなどの「お家芸」に国民が熱狂

 さて今大会、フランス国民を熱狂させたのはフェンシング、自転車、射撃などのフランスのお家芸であった。
 フェンシングはオリンピック競技では珍しくフランス生まれの競技であり、アトランタでの女子エペ個人戦のローラ・フレセル対バレリー・バルロワ戦のフランス勢同志の決勝は記憶に新しく、今までに金35、銀34、銅31と合計100個のメダルを獲得している。今大会でも男子フルーレ団体で金メダル、男子サーブル団体と男子サーブル団体などで銀メダルを獲得している。
 フランスにおける自転車競技熱は本連載でも何回か取り上げているが、自転車競技は過去フェンシングに次ぐ67個(金32、銀17、銅18)のメダルを獲得している。今大会でも女子500メートルタイムトライアル個人と女子スプリントをフェリシア・バランジェが制したほか、男子オリンピックスプリント(ローラン・ガネ、フローリアン・ルソー、アルノー・ツルナン)、男子ケイリン(フローリアン・ルソー)、男子マウンテンバイククロスカントリー(ミゲル・マルチネス)が金メダルを獲得した。
 過去に31個のメダルを獲得している射撃も、大会の実質的な初日にあたる16日にフランク・デュムランが男子エアピストルで金メダルを獲得し、フランス選手団を勢いづけた。

■フランスでは関心が低い男子サッカー

 さて、サッカーであるが、フランスは男女とも本大会には出場できず、すでに国内リーグや欧州カップが始まっていることもあり、注目されることもなかった。スポーツ紙の扱いも出場選手と得点者などのスコアボードだけで、記事や写真はなく、バスケットボールやハンドボールなどの他の球技への関心の陰に隠れるかたちとなった。
 ブラジルのセベリーノ・ルーカス(レンヌ)の活躍は日本の読者の方はよくご存じかと思うが、フランスリーグの1部に所属している選手でルーカス以外にオリンピックに出場したのはわずか3人。ナイジェリアのゴドウィン・オクパラ(パリサンジェルマン)、チリのペドロ・レイエス(オセール)とパブロ・コントレラス(モナコ)だけである。優勝したカメルーンの16才のGKカルロス・イドリス・カメニに至っては、ルアーブル(2部リーグ)のアマチュアチームの選手である。リーグの運営などに支障が起こるわけではない。またテレビ中継の数を見ても男子よりも女子の方が注目を集めている。リーグ戦、欧州カップ戦が行われている中で「23才以下、オーバーエイジ3人」の大会が行われている男子よりも、フルメンバーが一堂に会する女子の方が注目を集めるのは競技として当然のことである。
 日本の読者の皆さんは1968年メキシコ大会の準々決勝の印象が強く、フランスのサッカー界はオリンピックを軽視していると思われているに違いないが、フランスも最初の1900年パリ大会で準優勝、そして1984年ロサンゼルス大会では30年以上にわたる東欧勢の牙城を崩し、満員のローズボウルでブラジルを破り初優勝を果たし、アトランタでも活躍した。しかしながら、フランスにおける「オリンピックの男子サッカー」の位置づけがかなり低いことは事実であり、サンテエチエンヌのルシアン・メトモ、ナントのサソモン・オレンベは8月末にカメルーン代表を辞退し、リーグに専念した。

■再考を迫られるオリンピックにおける男子サッカー

 ここで注目したいことはオリンピック期間中にオーストラリアを訪問したミッシェル・プラティニが「個人的な見解」という注釈付きで「現行の23才以下という規定は予選、本大会の際に各クラブの活動に支障を与えることになるので、20才以下あるいはアマチュアだけの大会としたらどうか」と発言していることである。
 サッカーは1900年に採用された最古の団体球技であり、1932年のロサンゼルス大会を除きすべての大会で開催されてきた輝かしい伝統を持ち、前回大会からは女子も採用された。しかし、プロ化、ワールドカップや欧州選手権の出現、東西冷戦構造とステートアマの存在などにより、その参加資格などについては様々な試行錯誤が繰り返されている。
 サッカーとラグビーだけは、オリンピックの喧噪とは関係なくリーグ戦が行われ、欧州カップが行われている。この二つの競技がオリンピック期間中に「国内スポーツ」として成立することを考えてみると、フランスだけではなくオリンピック発祥の地欧州で、オリンピック競技として成立し得ない「男子サッカー」の位置づけについて再考する必要があるのではないだろうか。

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