第85回 苦難のアフリカシリーズ

■新メンバーを加えてアフリカチームと対戦

 前回の本連載では、国際試合の合間に行われたパリサンジェルマン-日本代表について取り上げたが、今回は同時期のフランス代表について取り上げることにしよう。
 フランス代表は10月4日にカメルーンとスタッド・ド・フランスで戦い、3日後の10月7日にはヨハネスバーグで南アフリカと戦った。1998年ワールドカップ、2000年欧州選手権を連覇したメンバーの中心であるディディエ・デシャンとローラン・ブランが9月2日のイングランド戦を最後に代表から引退し、新体制となってから初めての試合である。
 二人あわせて200キャップというデシャンとブランの後継者には、ポジション的にはパトリック・ビエイラ、フランク・ルブッフ、主将としてはマルセル・デサイーがすんなりと当てはまった。
 多くのアフリカからの選手がフランスリーグで活躍しているが、代表のアフリカのチームとの対戦歴は少ない。今回は中二日でパリからヨハネスバーグへ移動して試合を行う強行軍となった。新体制に加えこのような条件が重なった今回の「アフリカシリーズ」だったが、その結果は2試合とも引き分けという不本意な結果に終わった。
 今回のアフリカシリーズのメンバーはデシャンとブランの引退に加えてけが人が続出し、久しぶりにフレッシュな顔ぶれが揃った。まず、4日のカメルーン戦ではGKはファビアン・バルテス、ベルナール・ラマの負傷欠場によりウルリッシュ・ラメ(代表歴3試合)、リオネル・レティジ(同2試合)、リシャール・デュテュエル(初選出)と、3人あわせても代表歴はわずかに5試合。DFではついに期待のフィリップ・クリスタンバルが初選出された。MFでもマルタン・ジュトーとクロード・マケレレがともに代表歴3試合、ルドビック・ギリは代表歴1試合、FWのローラン・ロベールは代表歴2試合であり、初選出2人を含み代表歴5試合未満の選手が20人のベンチ入り選手のうち8人を占めたのである。

■オリンピック・チャンピオン、カメルーンとの初対戦

 一方のカメルーンはフランス人監督ピエール・ルシャントルが率い、20人の選手のうち8人がフランスリーグ所属である。
 フランスとカメルーンは実はこれが初対決である。フランスにとって1904年にベルギーと最初の国際試合を行って以来、64番目の対戦チームとなった。アフリカ勢との過去の対戦はアフリカ選抜(1972年)、チュニジア(1978年)、モロッコ(1988年以来4回対戦)、南アフリカ(1997年以来2回対戦)であり、7勝1分と負けなしで、5番目の対戦国としてライオンズという愛称のあるカメルーンと対戦することになったのである。
 カメルーンのメンバーの半分近くは、9月30日にシドニーオリンピックを制してから、スリランカのコロンボ経由で26時間の長旅を経てパリに着いたばかりで、コンディションは整っていない。この試合のキックオフ・セレモニーに登場したのは引退したばかりの柔道のダビッド・ドゥイエ。オリンピック王者を迎える試合でオリンピック王者がキックオフに登場するあたり、2008年パリオリンピックの招致活動に向けて余念がないと言うべきか。ブルーのユニフォームの右袖も「OUI PARIS 2008」とアピールしている。ハーフタイムには14人のメダリストが紹介され、オリンピック招致活動を盛り上げた。

■カメルーン戦直後に南アフリカに移動

 さて試合の方は両軍ともに動きは鈍く、20分にビエイラのパスを受けたシルバン・ビルトールが先制点をあげるが、前半終了間際の44分にシドニーでも活躍したパトリック・エムボマのアクロバットなシュートで同点に追いつき、後半はなかなか攻めの形が作れずに引き分けに終わった。
 ここで注目すべきは、試合が終わってから中二日でヨハネスバーグで試合を行うまでのスケジュールである。試合が終了したのは夜の23時近くであり、フランスイレブンは試合後すぐにバスで空港に向かい、なんと日付が変わったばかりの1時30分にはヨハネスバーグ行きの飛行機は離陸をしているのである。そして昼の12時に飛行機はヨハネスバーグに到着し、ネルソン・マンデラ大統領を表敬訪問し、夕方の17時には練習を開始している。
 フランス代表が今までアフリカに渡ったのはモロッコだけであり、サハラ以南のアフリカを訪問したのはこれが最初のことである。また非フランス語圏のアフリカ諸国の訪問も初めてのことである(ちなみにA'代表は1993年1月にセネガルを訪問したことがある)。このような初物づくしの遠征の中で国家元首への訪問が実現したことは、外交大国フランスのなせる技に加え、マンデラ大統領のスポーツに対する深い理解を表している。

■不満の残った2引き分けの後、ブルーの真価が問われる

 フランス代表の通算600試合目に当たる南アフリカ戦の舞台は、5年前のラグビーワールドカップで南アフリカが栄冠に輝いたエリス・パーク。南アフリカとは過去2戦2勝であり、最初の対戦は1997年10月11日のランスでの親善試合。フランスはティエリー・アンリの代表デビュー戦を2-1で飾る。その翌年に行われたワールドカップ・フランス大会で両チームはグループリーグの初戦で激突する。マルセイユで行われた試合でフランスは3-0とフィリップ・トルシエ率いる南アフリカを一蹴、栄光への第一関門を突破した。しかし今回はアウェーゲームで、移動に前の試合の疲労が重なり、高度は1800メートルと悪条件が重なった。しかもカメルーン戦で負傷したビシャンテ・リザラズ、レティジは遠征に帯同しておらず、ベンチ入りは18人であった。
 試合はデサイーを中心とした守備が安定し、南アフリカの攻撃を完封したものの、攻撃陣が全く振るわず、結局スコアレスドローとなった。フランス代表は記念すべき600試合目を白星で飾ることができず、イングランド戦から3試合連続して引き分けに終わった。
 新体制のフランスにとってこの2引き分けは物足りない。デュテュエルとクリスタンバルが代表デビューしたが、いずれもけが人との交代(デュテュエルはカメルーン戦でレティジの負傷の後32分間プレー、クリスタンバルは南アフリカ戦でルブッフの負傷の後30分間プレー)であり、戦術的な交代や先発ではなかった。しかしながら、代表監督ロジェ・ルメールは失望していないと明言した。この自信が本物であるかどうかは次の国際試合であるトルコ戦(11月15日、イスタンブール)、ドイツ戦(2001年2月27日、スタッド・ド・フランス)で明らかになっていくのであろう。

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