伝説を築く「ブルー」の真価(6) ~フランス、無冠の帝王ポルトガルと対戦~前編

欧州選手権史上に残る激闘の記憶

 前回の本連載でご紹介した通り、フランス代表の3月下旬の4連戦は不本意な結果に終わった。来年のワールドカップへ準備期間はあと400日、4月25日のポルトガル戦は貴重な試合である。
 なぜならば、次の代表の試合は5月下旬から6月にかけて韓国と日本で行われるコンフェデレーションズカップであるが、イタリアとスペインのクラブチームに所属する選手はフランス代表チームには招集されない。また、グループリーグで対戦する相手としても韓国、メキシコ、オーストラリアとは力量に差があり、実質的には8月15日のナントでのデンマーク戦まで間が空く。従って、ほかの欧州列強が6月上旬にワールドカップ予選を戦うことを勘案するならば、4月下旬のポルトガル戦では成果を残しておく必要がある。

 ポルトガルは過去にワールドカップ本大会出場2回、欧州選手権本大会出場は3回とひのき舞台への登場回数こそ少ないが、1966年ワールドカップはモザンビークの黒豹エウゼビオを擁し3位、84年と2000年の欧州選手権では準決勝進出と、本大会では抜群の成績を残しており、“無冠の帝王”と言われている。過去の対戦成績はフランスが14勝1分5敗と圧倒的にリードしており、相性はいい。
 意外なことに、過去20回の対戦のうち、親善試合以外の対戦は2度だけである。しかもその2度の対戦がワールドカップや欧州選手権の予選などではなく、いずれも欧州選手権準決勝というビッグゲームであり、欧州選手権史上に残る激戦として評価が高いのである。

 まず最初の対戦は84年6月23日のマルセイユのヴェロドローム。25分にフランスのジャン・フランソワ・ドメルグが先制ゴール、74分にポルトガルのルイ・マニュエル・ジョルダンが同点ゴールを決め、試合は延長に入る。98分にジョルダンが2点目を決め、ポルトガルがリードする。延長も後半に入った115分にドメルグが同点に追いつき、ロスタイムの119分に将軍、ミッシェル・プラティニがジャン・ティガナのセンタリングに合わせて決勝点。ヴェロドロームの無数の三色旗がはためいた光景は今でも忘れられない。当時マルセイユのサッカー少年であったジネディーヌ・ジダンがこの試合のボールボーイを務めていたことは有名なエピソードである。
 そして2度目の対戦は記憶に新しい2000年6月28日、ブリュッセルのボードワン国王スタジアム。タレント軍団ポルトガルは19分にヌーノ・ゴメスが先制。対するフランスは51分にティエリー・アンリが同点に追いつき、またもや延長戦に突入する。その後PK戦にまでもつれ込むかと思われた117分にシルバン・ビルトールのほとんど角度のないセンタリングにポルトガルDFのアベル・ザビエルがハンドを犯し、フランスがPKを得る。ジダンが難なく成功させ、ゴールデンゴールでフランスが決勝進出を決めた。

 タイトルマッチであるこれらの試合を考慮すると、親善試合を含めたこれまでの対戦成績をそのままうのみにするわけにはいかない。しかも昨年の欧州選手権準決勝でポルトガルは、ハンドの判定をめぐってオーストリア人の主審グンター・ベント氏に執拗(しつよう)に抗議したが、受け入れられず、逆に3人の選手がUEFAから処分を受けるという悔しい思いをしている。(続)

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