第610回 2008年欧州選手権予選開幕(4) ジャチント・ファケッティへの黙祷で始まった試合

■ワールドカップ後の初ホームゲームとなるフランス

 因縁の対決ということで欧州中の注目を集めたフランス-イタリア戦であるが、両国にとっては12試合戦う予選の中の1試合に過ぎない。しかし、これまでの本連載でも紹介したとおり、欧州選手権の予選の日程は9月から10月初めに集中しており、フランスもイタリアも1か月強の間に4試合を行うことになっている。そういう意味ではこのスタートダッシュである程度の成績を残すことが必要である。また、今回の欧州予選はプレーオフがないため、2位までに入れば、本大会に出場することができる。したがって無理に1位を狙う必要もなく、強豪同士の試合では引き分けで十分である。そのような様々な思いもあるが、スタッド・ド・フランスのピッチでラ・マルセイエーズを歌ったイレブンには勝利が要求される。
 また、フランス代表にとってこの本拠地で試合をするのは5月27日のメキシコ戦以来のことである。メキシコ戦は勝利こそ収めたものの、ふがいない試合内容でブーイングを浴びたが、ドイツでのワールドカップで大きく成長したチームがその姿を国内で見せる最初の機会となった。

■攻撃的サイドバックの元祖ファケッティ

 試合に先立って1分間の黙祷が捧げられた。9月4日に亡くなったジャチント・ファケッティの冥福を祈る意味で行われた。1960年代のイタリアのサッカーを代表する名選手であるファケッティはインテルミラノの黄金時代を支え、攻撃的サイドバックという概念を世界のサッカー界に与えた最初の選手であろう。マンツーマンで守備をするだけではなく、左サイドラインを攻め上がり、セリエAでの通算得点は実に60ゴール、DFとしてはいまだ破られていない大記録の持ち主である。

■イタリア代表で70試合の主将を務める

 1963年にはイタリア代表にデビュー、94試合に出場し、1968年の欧州選手権で優勝したことは同大会の決勝戦にイビチャ・オシム日本代表監督が出場していたことから日本の皆様もよくご存知のことであろう。プレーだけではなく人格的にも尊敬を集める存在であり、代表では94試合中70試合で主将を務めている。このファケッティがイタリア代表としてフランス代表と戦った唯一の試合が1966年3月19日には改装前のパルク・デ・プランスでの親善試合である。イタリア代表としてのフランスとの対戦はこの1試合だけであるが、本来ならば、選手生活の晩年にフランスと戦う機会があった。それが1978年ワールドカップ・アルゼンチン大会である。イタリアとフランスはこの大会の一次リーグで同じグループに入る。両国のほかには開催国アルゼンチン、中央の古豪ハンガリーと言う強国ぞろいのグループであった。ところがファケッティは大会前に負傷してしまい、登録メンバーから外れる。しかし、人格的にもチームの中心的存在であったファケッティはアルゼンチンに帯同し、チームを支えた。一次リーグではライバルと目されたフランス、開催国のアルゼンチンを下して二次リーグに進出、チームは4位になっている。これも影の主将としてチームを支えたファケッティの功績である。
 選手としてインテルミラノ一筋で青い狼と言われたファケッティは引退後もインテルミラノに身を捧げ、2004年からは会長職を務めており、64歳での急逝は惜しまれる。

■唯一のインテルミラノ所属はフランスのパトリック・ビエイラ

 ファケッティが青と黒、あるいは青一色のユニフォームを着て活躍した時代を考えれば、現在のイタリア代表のふがいない成績は信じられないであろう。今回のフランス-イタリア戦にエントリーされたメンバーのうちインテルミラノの選手はフランス代表主将のパトリック・ビエイラのみである。イタリア代表にはライバルのACミランの選手はいるが、インテルミラノの選手はいない。ワールドカップでもインテルミラノの選手でイタリア代表入りしていた選手は1人だけいたが、それはマルコ・マテラッティであり、ジネディーヌ・ジダンとの事件で出場停止となっている。
 左サイドバックの名手ファケッティへの黙祷で始まった試合で、イタリア代表はその力を見せることができなかったのである。(続く)

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