第1823回 決勝トーナメント1回戦第1戦(3) ギャンガンもモナコも快勝、フランス勢は無敗

 4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■フランス勢と対戦経験のあるディナモ・キエフ

 パリサンジェルマンがホームでチェルシー(イングランド)を圧倒しながらも、先制されて、1-1のドローに終わってしまった試合が、今年のフランス勢の欧州カップの決勝トーナメントの最初の試合となった。
 翌々日の2月19日に登場したのがギャンガンである。フランス勢唯一のヨーロッパリーグの決勝トーナメント出場チームとなったギャンガン、迎える相手はウクライナのディナモ・キエフである。かつては旧ソ連のナンバーワンクラブとして君臨し、フランス勢との対戦経験も豊富である。フランスのサッカーファンにとって忘れられないのは1975-76シーズンのチャンピオンズカップであろう。フランスのサンテチエンヌは準々決勝でディナモ・キエフと対戦、アウエーの第1戦を0-2と落としたサンテチエンヌは第2戦でも前半は無得点、後半に入ってようやく1点返し、ジャン・ミッシェル・ラルケのゴールで2-0と追いつき、延長戦となる。延長後半の113分、ドミニク・ロシュトーの決勝点でサンテチエンヌは準決勝進出を決める。ディナモ・キエフはこれまで8回フランスのクラブと対戦しており、そのうち4回がノックアウトシステムでの対戦であり、1回しか勝ち抜いていない。

■クラウディオ・ボービュ、ムスタファ・ディアロのゴールで逆転勝ち

 これに対して初めての決勝トーナメントとなるギャンガンはグループリーグでもウクライナ勢との対戦はない。ギャンガンの注目選手は第二のディディエ・ドログバと言われるクラウディオ・ボービュである。本連載でもしばしば紹介してきたように、グループリーグ突破はこのグアドループ出身の26歳の得点力が原動力であった。
 試合はディナモ・キエフが先制、19分にミゲル・ベロソのゴールは1万6000人の観衆を沈黙させる。しかし、ディナモ・キエフは39分、44分といずれも一発退場のレッドカードが出て、2人少なくなる。前半はディナモ・キエフが1点リードして折り返す。後半に入り、数的優位に立つギャンガンは攻め続け、72分、クロスボールをゴールに押し込み、同点に追いつく。攻勢一辺倒のギャンガンの勝ち越し点は時間の問題であった。75分には交代出場してきたばかりのムスタファ・ディアロがゴールを決めて、2-1と逆転。ギャンガンはクラブ創設後初の欧州カップの決勝トーナメントという記念すべき試合を地元の大観衆の前で逆転で勝利したのである。

■堅守の古巣と対戦するアーセナルのアルセーヌ・ベンゲル監督

 フランス勢で最後に登場したのがモナコである。国内リーグでも徐々に順位を上げ、この時点で4位まで順位を上げてきた。相手はかつてモナコを率いたアルセーヌ・ベンゲル監督擁するイングランドのアーセナルである。モナコとアーセナル、白と赤という同じチームカラーであるが、今回が初対戦である。モナコは堅守が光り、グループリーグでは6試合でわずか1失点、年が明けてからのリーグ戦でもほとんど失点をしていない。アーセナルのホームゲームということもあり、アーセナルの攻撃陣とモナコの守備陣の戦いが注目されたが、思わぬ展開となった。

■モナコ、アウエーでゴールを重ね、3-1で勝利

 序盤は動きの少ない試合であったが、これもモナコの守備がアーセナルの攻撃の色を消していたと言えるであろう。そして驚きは38分、モナコのジョフレイ・コンドグビアが強烈なシュートとなり、アーセナルの主将ペア・メルテザッカーの足に当たり、コースが変わってゴールの中に吸い込まれていく。前半はモナコが1点リードして折り返したが、後半最初の得点もモナコであった。53分にディミタール・ベルバトフが追加点をあげる。まさかの2点のビハインドとなったアーセナル、堅守モナコの前に攻撃の糸口をなかなかつかめない。ようやくエミレーツスタジアムの観衆を沸かせたのはロスタイムの91分、アレックス・オクスレイド・チェンバレンが強烈なゴールで1点差に迫り、モナコでの1-0の勝利に望みを託す。しかし、94分には、そのオクスレイド・チェンバレンがヤニック・フェレイラ・カラスコにボールを奪われ、フェレイラ・カラスコがそのままシュートして得点、モナコはアウエーで3-1と勝利したのである。(この項、終わり)

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