第3364回 マルセイユも準決勝へ(4) PK戦を制したマルセイユ

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■第1戦と2戦の間に試合のないマルセイユ、リーグ戦を戦ったベンフィカ

 34年前のチャンピオンズカップ準決勝と同じカードとなったベンフィカ(ポルトガル)-マルセイユ戦、34年目と同様、第1戦はホームチームが2-1で制した。34年前はマルセイユからリスボンへの移動であったが、今回はその逆、大西洋から地中海への移動、マルセイユは第2戦で1点を追う立場となる。
 4月11日に行われ、第2戦は18日に行われ、本来であればその間の週末にはリーグ戦第29節でニースとアウエーで対戦するはずであったが、欧州カップの準々決勝を戦うマルセイユ、パリサンジェルマン、リールの試合は延期され、第2戦を迎えるまで1週間の時間が与えられた。一方のベンフィカは週末のリーグ戦ではモレイレンセを3-0で破っている。ベンフィカはリーグ戦では2位、首位のスポルティングを勝ち点7差で追っている。スポルティングにはポルトガルカップでも敗れており、リスボンの名門として無冠は避けたく、このマルセイユ戦には力が入り、勝利した第1戦と同じ11人のメンバーが先発し、リスボンでの試合と同様、赤いユニフォームでこの試合に臨む。

■メンバーとユニフォームを代えたマルセイユ、同じユニフォームとメンバーのベンフィカ

 マルセイユにとって、1週間の休息が与えられることは好ましいことであるが、第1戦で敗れており、国内外で5連敗となり、気持ちを切り替えることができるかが課題であり、第1戦とは3人の先発メンバーを入れ替えて臨む。そしてベロドロームでは白いユニフォームで気分も一新する。第1戦、第2戦ともマルセイユより先に試合を行ったパリサンジェルマンは、ホームの第1戦で敗れながらも、アウエーの第2戦では勝利、さらに第1戦以上の得点差で勝利し、準決勝進出を決めている。
 試合はキックオフ直後こそベンフィカが積極的に攻めたが、白いユニフォームのマルセイユは地元ファンの声援を受けて試合を支配するようになる。第1戦では先発メンバーから外れていたアゼディン・ウナイが攻撃の原動力となる。マルセイユはベンフィカをゴール前にくぎ付けにし、ハーフサイドゲームとなるが、前半のマルセイユのシュートは5本、しかし枠内に飛んだのは8分のイリマン・エンディアイエの1本だけである。引き分けでよいベンフィカもシュートは2本だけ、ファンにとってはフラストレーションのたまる展開のまま、ハーフタイムを迎えた。

■終盤に1点を奪ったマルセイユ、延長戦でも決着はつかず

 無得点では敗退となるマルセイユは後半開始時に選手交代を仕掛け、48分にはCKからゴール前の混戦となり、ベンフィカの選手の腕にボールが当たったが、VARの末、PKは認められなかった。34年前はベルギー人の主審、この試合の主審はドイツ人である。 なおも無得点の両チームは60分前後に選手を次々に交代させる。守勢のベンフィカは枠内に初めてのシュートを放ったのは73分のことであった。マルセイユがようやく得点をあげたのは79分、左サイド攻撃からピエール・エメリク・オーバメヤンがゴール前にボールをあげ、ファリス・ムームバニャがヘディングシュートを決めた。
 90分終えたところで1-0となる。34年前であれば、アウエーゴール2倍ルールが存在し、ベンフィカの勝利となるが、現行ルールでは延長戦となる。
 前後半15分ずつの延長戦に入る。両チームの総力戦でも決着がつかず、PK戦で準決勝のチケットを争うことになった。

■4人全員が成功させたマルセイユ、2人失敗したベンフィカ

 マルセイユとPK戦というと1991年のチャンピオンズカップの決勝のレッドスターベオグラード(ユーゴスラビア)戦が思い出されるが、実は欧州カップで最初にPK戦を行ったのはマルセイユであり、1970-71シーズンのインターシティフェアーズカップでチェコスロバキアのスパルタク・トルナバ戦で勝利している。
 先蹴はベンフィカ、フランスを最も知る男、アンヘル・ディマリアのシュートはポストに当たり、失敗する。その後は3人目まで両チームとも成功、ベンフィカの4人目、アントニオ・シウバのキックをマルセイユのGKパウ・ロペスが止める。マルセイユの4人目、その名もルイス・エンリケのキックがマルセイユを準決勝に導いたのである。(この項、終わり)

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