第1699回 フランスカップ、ファイナル(4) 4たび決勝で顔を合わせたマルセイユとボルドー

 3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■過去のフランスカップ決勝の同カードの歴史

 今年のフランスカップ決勝はレンヌとギャンガンというブルターニュ勢同士の対戦となった。本連載の読者の皆様ならばよくご存じのとおり、両チームは5年前の2009年5月9日に行われた決勝でも対戦しており、5年ぶりの同カードの再現となった。
 フランスカップ決勝においてこれまで同じカードとなったことは何回かある。2010年のパリサンジェルマン-モナコ戦は1985年の決勝の再現であり、黄金時代のマルセイユは1989年と1991年にモナコと決勝を争っている。またパリサンジェルマンは1993年の決勝でナントを破ったが、その10年前の1983年にもナントに勝利している。サンテチエンヌは全盛期の1960年と1974年にモナコと決勝で対戦している。さらに時代をさかのぼれば古豪リールは1945年と1949年にRCパリと対戦、マルセイユとセートは1924年と1034年に対戦、そして1923年と1942年にはレッドスターとセートが対戦している。このようにみるとオールドファンには懐かしいチームの名前もあるが、今大会のセートの活躍に喝采を送ったファンの方もおられるであろう。

■戦時下に行われた1943年のフランスカップ

 以上、2回対戦した組み合わせを紹介してきたが、実は決勝で4たび顔を合わせたカードがある。それがマルセイユとボルドーである。最初の対戦は1943年、第二次世界大戦時でフランスにはヴィシー政権のある時代である。この時はフランス全体を占領地域、自由地域、中間地域の3つのゾーンに分け、それぞれのゾーンから勝ち残ってきたチームが占領地域はボルドー、自由地域はマルセイユ、中間地域はリールであり、占領地域のボルドーと中間地域のリールが戦い、その勝者であるボルドーが自由地域のマルセイユと決勝に戦った。
 マルセイユはそれまでに5回優勝しており、ボルドーは2年前の1941年に初優勝し、2回目の優勝を狙う。決勝戦は1943年5月9日、コロンブ競技場で行われた。マルセイユが2点先行するがボルドーが追い付き、引き分け再試合となる。再試合は2週間後の5月23日、パルク・デ・プランスに舞台を移して行われた。この試合ではマルセイユの攻撃陣が爆発、4-0とマルセイユが勝利し、26回目の大会にして早くも6回目の優勝を果たしたのである。

■ホームアンドアウエー方式が導入された1969年大会

 マルセイユとボルドーが次に決勝で対戦したのは1969年のことである。戦時下の最初の戦いから26年、平和な時代ではあるが、五月革命の起こった翌年である。この年からベスト8決定戦から準決勝までの試合がホームアンドアウエー方式となる。準決勝では、マルセイユは今年の大会でも準決勝に進出したアンジェを下し、ボルドーはパリ勢として19年ぶりに決勝進出を目指したRCパリ・スダンを下しての決勝進出である。マルセイユは前回ボルドーと対戦してから優勝はなく、決勝進出が1回だけ、一方のボルドーもしばしば決勝には進出するが、5回とも敗れており、前回のマルセイユ戦を含めると決勝6連敗中である。
 決勝の舞台は26年前の第1戦と同様、コロンブ競技場であり、終盤まで両チーム無得点、しかし終盤にマルセイユは相手のオウンゴールで先制し、終了間際にも得点し2-0と勝利する。

■名将エメ・ジャッケが2年連続でマルセイユを下す

 決勝戦で7連敗を喫したボルドーはこれ以降決勝からも遠ざかってしまうが、1986年に17年ぶりの決勝進出。相手のマルセイユはその後2度決勝に進出し、2回とも勝利して優勝回数を9回に伸ばしている。パルク・デ・プランスでの試合、前半終了間際にマルセイユが先制するが、後半にボルドーはジャン・ティガナが同点ゴール、延長になり、延長後半にアラン・ジレスが決勝点を奪い、ついに23度目の対戦でマルセイユを破り、2度目の優勝を果たす。
 勢いに乗ったボルドーは翌年も決勝でマルセイユと対戦、これまでのフランスカップの歴史で唯一2年連続で同カードとなったこの試合、リーグ戦を制したボルドーは前半、後半に1点ずつをあげて2-0とマルセイユを下し、二冠を達成する。この当時のボルドーの監督はのちにワールドカップの優勝監督となるエメ・ジャッケだったのである。(続く)

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