第3599回 戦争中のフランスサッカー(8) 戦後最初のシーズンはリールが二冠

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■1945年5月8日に平和が訪れた欧州

 前回の本連載で紹介した1944-45シーズンは北部グループと南部グループに分かれて行われ、それぞれの優勝チームが決勝戦を行い、ルーアンが6年ぶりのナショナルチャンピオンクラブとなった。このシーズンはパリ解放後に開幕し、ルーアンがリヨンOUに勝利した決勝は1945年6月24日に行われているが、欧州に平和が戻ってきた。5月7日に連合国最高司令部のあったランス(スタッド・ド・ランスのあるReims)で連合国のドワイト・アイゼンハワー司令長官とドイツのアルフレート・ヨードルの間で降伏文書が調印され、翌日の5月8日から停戦が発効された。ドイツが連合国に対して降伏し、欧州には6年の戦火が収まり、平和が訪れた。

■1部は全国リーグ、南北のグループに分かれた2部

 戦後最初のシーズンとなる1945-46シーズンはパリ解放1周年の翌日となる8月26日に開幕し、フランスリーグにも日常が戻ってきた。1939年9月に第二次世界大戦が始まって以来、フランスリーグはそれまでの1部・2部制のホームアンドアウエーのリーグ戦方式で試合を行うことができなくなり、変則的な運用を続けてきた。戦後初のシーズンは1部18チーム、2部28チームで構成された。1部は全国レベルで行われ、2部は北部グループと南部グループそれぞれ14チームずつで行われた。
 1部の18チームであるが、戦前最後の1938-39シーズンの成績を基本として形成された。すなわち、戦争中の1939-40シーズンの成績は公式のものではないという考え方にリーグ側は立ち、それまで6年間のリーグ戦をフランス戦時中リーグとし、フランスリーグとは別のものであるととらえている。

■1938-39シーズンの成績を基本に構成された1部18チーム

 1部の出場資格をまず得たのは16チームで行われた1938-39シーズンの1部残留対象となる上位14チームである。ただし5位のオリンピック・リールと9位のフィブは1944年に合併し、現在に続くリールOSCとして参加、13位のルーベはトゥールコワンと合併し、ルーベ・トゥールコワンとして参加している。
 残り5チームであるが、1938-39シーズンの2部で1部昇格権を得た1位のレッドスターと2位のレンヌがまず入る。そして戦争中の成績を考慮して、スタッド・ド・ランス、ボルドー、リヨンOUの3チームが選ばれ、16チームとなった。なお、リヨンOUは1938-39シーズンは地域リーグに所属していたが、戦争中に強化し、前年は南部グループで優勝している。ボルドーは1938-39シーズンは11位であったが、前年は南グループでリヨンOUと勝ち点で並ぶ2位、戦争中にフランスカップも獲得している。
 1部入りに疑義を持たれたのがスタッド・ド・ランスであった。1938-39シーズンの成績は2部6位とボルドーやリヨンOUより良いが、戦前は1部リーグに所属したことはなく、戦争中は1回だけ北部グループで優勝しただけで、目立った成績を残せなかった。しかし、1部初参戦となるスタッド・ランスを選んだことは正解であり、このシーズンは4位になり、その後も上位の常連となり、1950年代のチャンピオンズカップでの活躍につながっている。

■二冠を達成したリール、戦争の影響を勘案し、1部残留となったメッスなど

 戦後初のリーグ戦を制したのは合併して2年目のリールであった。リールの前身のオリンピック・リールはリーグ初年の1932-33シーズンで優勝しており、それ以来の歓喜をリールの街にもたらした。また、リールはフランスカップでも優勝し、二冠を達成した。二冠を達成したのは1933-34シーズンのセート、1935-36シーズンのラシン・パリについで3チーム目となった。
 このシーズンは下位2チームが2部に降格となり、最下位のソショーと17位のメッスがその対象となるが、17位のメッス、16位のルアーブル、12位のストラスブールは戦争で大きなダメージを受けていることから1部残留という措置が取られた。15位のリヨンOUが最下位のソショーとともに2部に降格、このようにしてフランスサッカーの戦後は始まったのである。(この項、終わり)

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