第102回 新生フランス代表、チュニジアでスタート(3) 厳しい現状認識のフランス代表

■新監督にジャック・サンティーニが就任

 ワールドカップのデンマーク戦での敗退後からロジェ・ルメール監督の進退が話題になったが、7月中旬に昨年リヨンを率いてリーグを初制覇したジャック・サンティーニが後任の監督に就任した。フランス代表監督選考の過程についてはフランスではちょうどツール・ド・フランスの時期と重なり注目を集めなかったが、リーグ優勝を果たした監督の就任は妥当なものであろう。近年のフランス代表監督は協会の内部から昇格しており、新任の代表監督の前職がクラブチームの監督というのは久しぶりのことである。

■最終候補に残ったフィリップ・トルシエ

 監督人事については日本代表を率いてベスト16に進出させたフィリップ・トルシエも最終候補4人のうちの1人であったことから日本の皆さんもよく事情をご存知とは思うが、トルシエを監督の候補としてこれほど高く評価した国はない。代表監督人事が進行する中で各プレスはフランス国内ではほとんど知られることのなかったトルシエを紹介し、トルシエ自身はフランス国内で知名度を上げることになった。しかし、トルシエはフランス代表監督だけではなく、国内のクラブチームの監督にも就任することはできなかった。8月には再び地中海を渡り、アルジェリアに売り込みを図ったものの、失敗する。現在モロッコに静養と売り込みをかねて滞在中である。ワールドカップに出場できなかった国から門前払いされるようなトルシエを代表監督の最終候補としてインタビューまでしたことは、いかにフランスが代表監督の人材探しに困っていたかを顕著に物語っているであろう。

■協会外部からの人材登用

 本連載の第78回から第84回にかけて「デンマークに惨敗、悪夢再び」というタイトルでフランス代表の敗因について紹介した。今回の敗退はフランス・サッカー界あるいはフランス協会の構造的な欠陥に起因するものではなく、ルメール監督自身の責任は問うものの、後任監督は協会内部からの昇格という意見も少なくはなかった。
 しかしながら、後任監督となったのはクラブチームのリヨンの監督を務めたサンティーニであり、国外の代表監督を歴任したとは言うものの、フランス国内でほとんど実績がないトルシエも最終候補に残った。
 近年の惨敗後の監督交代と言うと1992年の欧州選手権スウェーデン大会本大会、1993年のワールドカップ米国大会予選があげられるが、両者とも後任監督は協会内部からの昇格であった。協会の外部に人材を求めたと言うことはフランス協会の危機感を象徴している。

■ワールドカップ期間中に決定したチュニジア戦

 一方、監督人事の決定を待たず、フランス協会は8月に親善試合を行うことと、その対戦相手をワールドカップ期間中の6月中旬に決定していた。再起を図るフランスはその相手に日本の皆さんもよくご存知のチュニジアを選んだ。チュニジアは日本と同じグループHで1分2敗と敗退。大阪での日本戦に完敗しただけではなく、大会前の練習試合でも日本のクラブチームに歯が立たないようなレベルの相手をフランスが選んだと言うことは、フランス代表チームの現状認識がいかに厳しいものかがよくわかる。
 他国のようにワールドカップが終了してから対戦相手を選べば、その選択肢も拡がっていたはずである。しかし、一日も早く親善試合の相手を決めたい、という焦燥感も、ワールドカップ敗退が決まり、対戦可能であるチームを選択させたのであろう。
 ただ、拙速に対戦相手を選んだわけではない。2004年の欧州選手権ポルトガル大会の予選が9月7日から始まる。フランスの最初の試合はアウエーでのキプロス戦である。弱小チームではあるが、1988年10月22日のワールドカップ予選ではホームのニコシアで1-1の引き分けに持ち込み、当時のアンリ・ミッシェル監督を辞任に追い込んだ。また予選の初戦ではホームでノルウェーに勝って発進したフランスは第2戦のこの引き分けで調子を崩し、結局アルプス山脈を越えてワールドカップに出場することはできなかった。同じ失敗は許されない。緯度も近い地中海沿岸のチュニジアとの戦いはキプロスとの試合を控えたフランスにとっては有意義であろう。また、チュニジアはフランスが初めて対戦したアフリカの国である。ワールドカップ・アルゼンチン大会を控えた1978年5月19日、北フランスのビルヌーブ・ダスクで行われた記念すべき試合はフランスが2-0で勝利した。以来、2度目の戦いとなるが、最初の対戦の際にはまだ生まれていなかった選手も今回の代表に7人もいる。新監督に率いられた新しい世代に期待したい。(続く)

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