第300回 初出場・初得点物語(3) ジャッケ・フランスを救ったジネディーヌ・ジダン

 おかげさまで第300回の連載を迎えることになりました。読者の皆様にあらためて感謝するとともに、引き続きのご愛読をよろしくお願いいたします。

■エメ・ジャッケ新体制、初のホームでの欧州勢との対戦

 前回と前々回の連載ではステファン・ギバルッシュ、イブラヒム・バ、ダニエル・ブラボー、イボン・ルルーと代表デビュー戦で得点をあげるという華々しい活躍をしながら、悲運の代表生活を送った選手たちを紹介した。フランスにおいて代表デビュー戦で得点をあげることは鬼門なのだろうか。過去の記録をひもとくと決してそうではないことがわかる。
 1997年にギバルッシュとバが初代表・初得点をマークしているが、その前にこの記録を達成したのは現在のフランス・サッカー界の至宝、ジネディーヌ・ジダンである。ジダンの代表デビューは1994年8月17日にボルドーで行われたチェコとの親善試合である。ワールドカップ米国大会終了後初の国際試合であったが、フランスは前年の秋にワールドカップ予選で敗退しており、年が明けた2月にエメ・ジャッケ監督が就任し、新体制となった。ジャッケ監督はナポリのイタリア戦でアウエー初勝利という大金星でスタートする。3月にチリにホームで勝利し、5月には日本に遠征し、フランス同様ワールドカップをあと一歩のところで逃した豪州、日本に連勝する。4連勝したところで、新大陸で行われたワールドカップをテレビ観戦し、新しいシーズンが始まり、チェコを迎える。ジャッケ新体制のフランスはホームで欧州のチームと初対戦となる。欧州のチーム相手のホームゲームでは前年のワールドカップ予選でイスラエルとブルガリアに連敗しており、苦手意識を払拭したいところである。チェコは1993年1月1日にスロバキアと分離して新国家となったが、サッカーの代表チームはワールドカップ米国大会の予選終了時までチェコスロバキアと言う旧体制のチームを継続しており、新体制になったところである。また、1992年の欧州選手権予選ではチェコスロバキアはフランスに連敗してスウェーデンへの道を阻まれており、フランスに勝ってサッカーの母国での欧州選手権予選に勢いをつけたいところである。

■前半終了間際にチェコが2ゴール

 フランスは負傷者が重なり、守備陣の中心であるストッパーにリリアン・テュラム、ブルーノ・エンゴッティという2人の代表未経験者を起用せざるを得ないスタートとなった。ジャッケ監督は新人ストッパーの後方にローラン・ブランをリベロに配す5バックの布陣をとったが、経験不足をチェコにつけ込まれる。試合を支配していたチェコの攻撃から逃れていたフランスであるが、ハーフタイムを迎える直前の43分には1990年10月のパリでの欧州選手権予選でも得点をあげたトマス・スクラビーが先制点、そして前半終了間際の45分にはダニエル・スメルカルが追加点、ホームで2点リードを許すと言うのは1992年のブラジル戦以来のこととなった。

■交代出場のジダンが連続ゴール、ドローに持ち込む

 後半に入り、ジャッケ監督は動く。フォーメーションをフランス伝統の4バックに変更し、選手を交代する。63分には地元ボルドーに所属するジダンが起用される。ジダンは敗色濃厚の試合で試合終了間際の85分、87分に連続ゴールを上げて試合を引き分けに持ち込む救世主となったのである。もしこの試合で負けていれば、フランス代表はホームで欧州勢に3連敗と言う不名誉な記録をつくってしまうところであった。

■新司令塔ジダンの活躍で欧州選手権予選を突破

 そしてジダンはもう一度ジャッケ監督を救っている。チェコ戦の翌月から始まった欧州選手権予選では得点力不足が続き、前半戦の5試合を終了した時点で1勝4分。アゼルバイジャンに2-0で勝った以外はスロバキア、ルーマニア、ポーランド、イスラエルと0-0で引き分ける。敗戦と失点こそないものの5試合でわずか2得点という成績で前半戦を終了する。1995年4月26日のナントでのスロバキア戦が後半戦最初の試合である。予選前半戦ではルーマニア戦の終盤に交代出場しただけのジダンは代表初先発を言い渡され、ゲームメーカーを任される。このジダンの起用が見事的中、フランスはスロバキアに4-0と大勝し、フランスは予選後半戦を4勝1分と言う成績でイングランドへのチケットをつかむ。そして前半戦わずか2得点だった得点力は新司令塔ジダンによって大きくアップし、5試合で20得点(1失点)という大変化を遂げる。
 ジダンが代表デビューした当時のフランス代表は主にパリでホームゲームを行っていた。パリサンジェルマン以外のチームに所属する選手が、地元で代表デビューと言うのは極めて珍しく、ジダンは強運の持ち主であると言えよう。もちろんジダンは運ばかりでなく実力を備えていることはその後のジダンの活躍をみれば明らかである。(続く)

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