第1511回 ドイツに27年ぶりに敗れる(2) 東西統合以来フランスに勝てないドイツ

 一昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■ディディエ・デシャン監督の構想から外れたサミール・ナスリとヨアン・グルクフ

 前回の本連載ではドイツ戦に向けた23人のリストのうち2人の新人選手を紹介したが、逆にメンバーから外れ、ディディエ・デシャン監督の構想から外れてしまったのが、サミール・ナスリであり、ヨアン・グルクフであろう。ナスリについては昨年の欧州選手権のスペイン戦後にミックスゾーンでジャーナリストに暴言を吐き、3試合の出場処分となったが、3試合を過ぎてもデシャン監督はメンバーに入れる気はないようである。そして、グルクフに関してはこの2年ほど精彩を欠き、昨年の欧州選手権も直前にメンバーから落ちた。ナスリに加え、ヤン・エムビラが規律違反で2014年6月までと長期間の代表での出場停止となり、これらの影響を受けて、昨年11月のイタリア戦で半年ぶりに代表に復帰し、終盤に交代出場を果たしているが、所属チームのリヨンでも、今季は出場機会に恵まれず、代表のメンバーとしては満足できる状況ではないことから、今回は招集されなかった。

■ワールドカップ予選で首位のドイツ、マリオ・ゴメスが復帰

 一方のドイツも23人のメンバーを発表した。欧州選手権では準決勝でイタリアに敗れ、欧州選手権後の最初の試合はフランクフルトにアルゼンチンを迎え、1-3と敗れるという苦しいスタートであった。9月から始まったワールドカップ予選ではフェロー諸島、オーストリア、アイルランドに手堅く3連勝した。ところが4試合目のベルリンでのスウェーデン戦は前半を3-0と大量にリードしながら、後半に4点を奪われ、4-4のドローとなり、3勝1分でグループ首位である。11月にはアムステルダムでオランダとの親善試合を行い、スコアレスドローとなり、現在の世界ランキングは2位である。
 ドイツもフランス同様に今年初めての試合を迎える。このフランス戦で欧州選手権の後の手術の影響で代表から離れていたマリオ・ゴメスが復帰した。そしてFW登録はゴメスを含め2人だけであるが、もう1人のFWは34歳のベテラン、ミロスラフ・クローゼである。

■フランスの低迷期に西ベルリンで対戦

 本連載でしばしば紹介している通り、フランスはドイツに対しては非常に相性がよく、ドイツ統一以降の戦績は4勝1分と圧倒している。ドイツが最後にフランスに勝利したのは西ドイツ時代の1987年8月12日に西ベルリンのオリンピックスタジアムで行われた親善試合が最後である。
 この試合、ドイツはマルセイユでも活躍したルディ・フェラーが立ち上がりに2ゴールをあげ、これに対し、一矢を報いたのがこの試合が代表デビューとなったエリック・カントナである。すでにこの段階でフランスは翌年に西ドイツで行われる欧州選手権予選で、ソ連、ノルウェー、東ドイツ、アイルランド相手に1勝2分2敗と大苦戦し、チーム状態も決していいわけではない中で攻撃陣を中心に次々に新人を起用していた。その中で後に名を成すに至ったのはカントナくらいである。西ドイツとの親善試合で敗れた後も、チーム状態は好転せず、秋以降の予選でも2分1敗、最終成績は1勝4分3敗の3位、8試合でわずか得点4、というフランスの欧州選手権の予選史上最低の成績で西ドイツ行きを阻まれる。

■西ドイツとの最終戦で決勝点をあげたエリック・カントナ

 このようにフランスがどん底状態であった時に西ドイツが勝利したわけであるが、フランスはその次の1990年のワールドカップ予選でも大苦戦、予選期間中に監督をアンリ・ミッシェルからミッシェル・プラティニへ代えるが、功を奏さず、予選敗退となる。予選終了後フランスはチームを立て直すために、1990年に入って1月にクウェート遠征、そして2月末に西ドイツをモンペリエに迎えて親善試合を行った。この西ドイツ戦で地元モンペリエの選手として出場した選手が2人いる。1人は前フランス代表監督のローラン・ブランであり、もう1人がカントナである。西ドイツが先制したものの、前半終了間際にジャン・ピエール・パパンが同点ゴール、そして試合終盤の82分にカントナが決勝点となるゴールをヘディングで奪い、フランスは5か月後に世界チャンピオンとなる西ドイツに6年ぶりの勝利をあげ、同年10月にドイツが統一したこともあり、これが最後の西ドイツ戦となったのである。(続く)

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