第2642回 新型コロナウイルスで亡くなったパペ・ディウフ

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■勢いの止まらない新型コロナウイルスの感染拡大

 新型コロナウイルスの猛威は止まらない。本連載でも3月中旬以降フランスにおける新型コロナウイルスの感染拡大について紹介してきたが、3月16日にエマニュエル・マクロン大統領がテレビ演説を行い、翌17日からの旅行、集会を2週間制限することを強く求め、フランスは主要都市であっても出歩く人の数はまばらになったが、感染者、死者の数は増加する一方である。3月27日にはこの外出禁止措置を4月15日まで延期することになった。フランスは欧州の中で最初に死者(2月15日、在仏中国人)であったが、2月末の段階で感染者は100人、死者はわずか2人であった。しかし3月に入ってから急激に感染者、死者とも増加する。トップレベルのサッカーで最初に影響を受けたのが、3月7日に開催される予定だったストラスブール-パリサンジェルマン戦であった。ストラスブールのあるグランテスト地域の製造業は中国との交流が深く、グランテスト地域を中心に感染者が急増し、この試合は延期となったのである。この時点でもまだ、多くのフランス人にとっては中国で発症した感染症が中国と関わりの深いイタリアやグランテストで流行している、という意識であっただろう。

■わずか1週間で急変したフランスのサッカーシーン

 そしてその翌週の平日の11日に行われたチャンピオンズリーグのパリサンジェルマン-ボルシア・ドルトムント(ドイツ)戦、この試合は無観客で行われたが、パルク・デ・プランスの外では多くのファンが密集して声援を送っていた。パリサンジェルマンの快勝にフランス中がわいたが、その3日後、フランスからはサッカーボールが消えた。サッカーだけではなく、他の競技も、さらにはフランス以外の他国でも状況は同じであり、特にイタリア、スペインの状況は深刻である。
 4月を迎えた段階でフランスの感染者は4万4000人に迫り、死者は3000人を超える。

■マルセイユの復活を支えた会長のパペ・ディウフ

 このような状況の中で悲しいニュースが飛び込んできた。サッカー関係者で感染したケースもあったが、かつてマルセイユの会長を務めたパペ・ディウフが新型コロナウイルスに感染し、亡くなった。マルセイユの会長というとベルナール・タピの印象が強いが、それ以降もファンの心に残る会長が何人もいる。そのうちの一人がディウフである。
 チャド生まれであるが、名字からわかる通り、セネガルをルーツとしており、18歳の時にマルセイユに来て、エクサンプロバンス政治学院に入学する。その後、郵電公社を経て、マルセイユにある新聞社ラ・マルセイエーズに入社し、マルセイユのサッカーチームの担当記者となる。これがきっかけで、その後は選手の代理人となり、マルセル・デサイー、バジル・ボリ、ウィリアム・ギャラス、サミール・ナスリ、ディディエ・ドログバなどの移籍を手掛けた。
 そして2005年にマルセイユの会長に就任する。1980年代から1990年代に黄金期を迎えたチームも様々な疑惑で2部降格、1部に復帰してようやく上位に戻ってきたときにディウフが会長に就任した。ディウフは2009年まで会長を務めたが、チームの順位は就任初年が5位、2年目が2位、3年目が3位、4年目が2位であり、当時連覇を重ねたリヨンに迫る勢いがあった。退任した翌年の2009-10シーズンでは18年ぶりの優勝を果たしたが、ディウフの選手補強によってベースができたといえるであろう。さらに好成績を残していても監督をジャン・フェルナンデス、アルベール・エモン、エリック・ゲレツと次々と交代させた。そしてゲレツの後任としてディディエ・デシャンを招聘したが、ここで会長を退いている。

■記憶に残るパリサンジェルマン戦の選手派遣

 ディウフのエピソードとしては2006年3月のパリでのパリサンジェルマン戦、パリ側の警備が不十分であるとしてベストメンバーを送らず、多数の下部組織のアマチュア選手をパリに派遣した。それでも試合は0-0の引き分けであったが、この決定は議論を巻き起こした。
 そのディウフは3月27日にセネガルのダカールの病院に入院、その後病状が悪化し、呼吸困難となる。3月31日か4月1日にニースの病院に転院しようという動きもあったが、それを待たずして3月31日に68歳の生涯を閉じたのである。(この項、終わり)

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