第91回 アジアで活躍したフランスのクラブの選手(3) チュニジア、ナイジェリア人選手の活躍

■国内リーグに選手が残るチュニジア

 さて、今大会にはセネガルとカメルーン以外にもう一つフランスから独立した国が出場している。日本のファンの皆さんにはおなじみのチュニジアである。フランスから独立した国ではあるが、元来はイタリアの文化圏であり、フランスから独立した国としては珍しく政治・経済面でフランス一辺倒という国ではない。その理由は元来イタリアの文化圏であったということに加え、産油国という立場の豊かな国であり、旧宗主国のフランスに依存する必要性に迫られていなかったこともあげられる。
 その豊かな国内経済と旧宗主国離れはサッカーの世界にも影響を与えている。まず、第1の特徴として国内リーグにそれなりの力を持ったクラブがあり、選手の海外流出は他のアフリカ諸国に比べて少ないということがあげられる。今回のワールドカップに登録したメンバーの所属クラブを他のアフリカの国と比較してみよう。国内リーグに所属する選手の数に着目すると、前々回紹介したセネガルは1人、前回紹介したカメルーンは1人もおらず、ナイジェリアは3人、南アフリカは8人という数字であるのに対し、チュニジアには16人の国内リーグに所属している選手がいる。

■フランス以外で欧州デビューするチュニジア勢

 そして第2の特徴として、海外のクラブを選択する際に旧宗主国であるフランスのクラブを選択するケースが、フランスから独立した他の国に比べて少ないことが指摘できる。選手の国外での所属クラブの地理的な分布については英国から独立した国とフランスから独立した国で大きく違いがある。まず、英国から独立したナイジェリア、南アフリカは多くの国のクラブに所属しており、ナイジェリアの選手は自国を含めて14か国、南アフリカの選手は自国を含めて10か国のクラブに所属している。一方、フランスから独立したセネガルの選手は3か国、カメルーンの選手は8か国のクラブに所属しているが、両国とも欧州のゲートウェイとしてフランスのクラブにまず渡っている。カメルーンの場合は前回紹介した通り、それから欧州全体のクラブに拡がっていく、という段階に達しており、今大会での活躍でセネガルの選手も欧州全体に拡散していくであろう。
 ところが同じフランスから独立した国でもチュニジアの場合、選手の所属するクラブはイタリア3人、フランスとトルコ2人、ドイツとオランダ1人と自国を含めて6か国であるが、注目すべきは彼らがフランスのクラブを経由せずにチュニジアからフランス以外のクラブに移籍しているという点である。
 上記のような2つの特徴はあるが、フランスのクラブに所属しているGKのアリ・ブムニェルとMFのスリム・ベン・アシュールという2人が、3試合ともフル出場した。ブムニェルは1988年にフランスに渡り、1997年に現在の所属のバスティアに移籍してきた36歳のベテランGKである。ところがバスティアでは出場機会に恵まれず、5シーズンで11試合にしか出場していない。ゴールを守るのは代表のユニフォームを着ているときだけ、という実戦の少なさがグループリーグでの5失点につながったのであろうか。一方のベン・アシュールはパリ生まれの20歳の選手。地元のパリサンジェルマンから3部リーグに当たるナショナルリーグのマルティーグに移籍している。日本の皆さんにとってはアジアカップを控えた日本代表が2000年10月にパリを訪問し、パリサンジェルマンと対戦した際に、同点ゴールのアシストをした選手ということで特別な感慨もあるであろう。

■ナイジェリアでも最大勢力のフランス勢

 ナイジェリアについても紹介しよう。1990年代以降、数多くの選手が欧州のビッグクラブで活躍してきた。フランスのクラブに所属する選手の数は3人と少なく見えるが、実は3人というのはイングランド、自国と並び、最も多くの選手が所属しているリーグである。ジェイ・ジェイ・オコチャとバルソロミュ・オグベチェがパリサンジェルマン、ジョセフ・ヨボがマルセイユとビッグクラブに所属している。オコチャとヨボはグループリーグ3試合にフル出場、弱冠17歳のパリサンジェルマン育ちのオグベチェは初戦のアルゼンチンはフル出場、第2戦のスウェーデン戦では71分までプレーした。死のグループと言われるグループFでの3試合だけしか彼らの活躍を見ることができなかったのは残念であった。

■唯一フランスのクラブの所属選手のいない南アフリカ

 さて、南アフリカについては、選手の所属クラブが10か国に拡がっているにも関わらず、アフリカ勢で唯一フランスのクラブに所属している選手がいない。連続出場となるピエール・イッサは前回出場時にはマルセイユに所属していたが、昨年イングランドのワトフォードに移籍している。前回出場時はフランス人監督フィリップ・トルシエが率いた国であるが、この国でフランスのサッカーに対する評価が変わったのであろうか。(続く)

このページのTOPへ