第1128回 揺れるフランス、グループリーグで敗退(8) 内紛フランス、グループリーグ最下位に終わる

■ヨアン・グルクフの退場はホームタウンディシジョン

 グループリーグ最終戦の前回準優勝のフランスと地元南アフリカとの戦い、大量点で勝利すれば決勝トーナメント出場への可能性がある両チームであったが、前半20分に南アフリカが闘争心のないフランス人選手に競り勝ってヘディングで先制点、そしてその5分後の25分にはフランスの攻撃の中心であるヨアン・グルクフが相手選手にひじ打ちしたとして一発退場となってしまった。
 この退場には2つのことが象徴されている。今大会は誤審が多かったことが問題になっているが、この場合は明らかにフランスのは厳しすぎる処分である。一連のフランスの攻撃が終わったタイミングで吹かれた笛はフランスの攻撃の締めくくりとなったジブリル・シセのオーバーヘッドキックが危険なプレーと判定されたものだと思ったが、そうではなくグルクフの普通であるならばファイ理がとられなくてもおかしくない接触プレーがレッドカードになった。これは誤審というよりは明らかに主審のホームタウンディシジョンであろう。

■英連邦本国で行われた試合もホームタウンディシジョンの連続

 本連載第1123回でも紹介したが、フランスがワールドカップでホームタウンディシジョンの犠牲になったのはこれが最初ではない。フランス人にとって忘れられないのが1966年のイングランド大会である。この大会、地元イングランドはグループリーグから決勝戦まですべてロンドン市内で戦う。さらに審判の判定も常にイングランドびいきであった。この試合でイングランド選手の悪質なタックルにフランス選手は悩まされるが日系ペルー人のアツロー・ヤマサキ氏は何もせず、イングランドの選手に警告を1回しただけ。結局フランスはロベール・エルバンとジャック・シモンの2人が負傷し、試合終了時には実際には9人で戦っていたのである。  今大会はそれ以来の旧英連邦での開催となる。南米人の主審が地元の元英連邦の国に有利な笛を吹いても不思議ではない。

■グルクフの退場後の反応が象徴したチームの内紛状態

 そして不思議だったのはチームメイトならびにベンチの反応である。この判定に対して全く申し立てる様子はなかった。主将経験のないアルー・ディアラが主将であったことが災いしたと思う向きもあるがそう簡単なことではない。グルクフは白人でかつ若く、華のある選手である。このグルクフに対し、移民選手が嫉妬していたのである。また、移民選手もアラブアフリカ出身、ブラックアフリカ出身、カリブ海出身と別れており、それぞれが反目し合っていた。したがって若い白人のスター選手の負傷を心の中で喜んでいる選手もいたのである。また、レイモン・ドメネク監督は自らがアンダーエイジの監督を務めていたときに発掘し、ベテランとなった選手とは仲がいいが、グルクフなどとの関係は薄く、ベンチからも見殺しとなったのである。このような内紛状態のチームに先制点を跳ね返す力があるはずがない。

■フローラン・マルーダ、ティエリー・アンリの投入で1点返すが南アフリカに敗れる

 37分にはシフィウェ・チャバララが左からクロスをあげる。アブ・ディアビーがクリアした球が南アフリカのツェポ・マシレラに拾われ、ゴール前にセンタリング、そしてカトレゴ・ムフェラに簡単に決められて2点のリードを許す。
 2点のリードを奪った地元南アフリカのファンは大喜びである。この段階でもう1つのウルグアイ-メキシコ戦は両チーム無得点であったが、2点のリード、フランスの混乱ぶりを考えれば決勝トーナメントが見えてきた。これまでにないブブゼラの音響がロッカールームに戻るフランスイレブンを襲ったのである。
 そして後半開始時にフローラン・マルーダを投入し、55分にはティエリー・アンリがシセに代わって登場し、キャプテンマークを受け取る。ここから少しはフランスらしくなり、70分にようやくマルーダが今大会チーム初の得点をあげる。しかし、フランスの反撃もここまで、フランスは南アフリカに1-2と敗れる。実はフランスはワールドカップ本大会で開催国相手に負けたことしかない(1966年イングランドと1978年アルゼンチン)という歴史を書き換えることができなかった。そしてグループリーグ最下位での敗退は1966年、2002年に続いて3度目という不名誉な結果に終わってしまったのである。(この項、終わり)

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