第3114回 モロッコに勝利、決勝へ (1) アフリカサッカーの歴史を開いたモロッコ
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■フランスの準決勝の相手はモロッコ
準々決勝最後の試合でフランスはイングランドと対戦、2-1とワールドカップでは初勝利、準決勝に進出した。フランス-イングランド戦の前に他の準々決勝は終わっており、準決勝はアルゼンチン-クロアチア、モロッコ-フランスとなった。
アルゼンチン、フランスは優勝候補と目され、前回準優勝のクロアチアもある程度の評価を受けていたが、準々決勝でブラジルにPK戦で勝利したのは大きな驚きであった。そしてそれ以上の驚きがアフリカ勢として初めて準決勝に進出したモロッコであろう。
■ワールドカップ本大会にアフリカからエジプトの次に出場したモロッコ
アフリカ勢がワールドカップに最初に出場したのは第2回大会となるイタリア大会のエジプトである。この時は現在のアフリカ地区からのエントリーはエジプトだけで、パレスチナと対戦して勝利して本大会に出場、トーナメント方式で行われた1回戦でハンガリーに2-4と敗れている。このエジプトの次にアフリカからワールドカップ本大会に出場したのがモロッコであるが、それまでには長い時間が必要であった。そして現在に続くアフリカ勢の本大会での健闘はモロッコがその道を切り開いたと言ってもよいであろう。以下にモロッコが本大会に最初に出場するまでを紹介しよう。
■欧州勢の前に予選を突破できなかったアフリカ勢
1934年にエジプトが本大会出場した以降もアフリカは欧州の一部として欧州予選に組み込まれ、エジプトだけが予選に出場していたが、欧州勢に対して負け続けた。1958年のスウェーデン大会で初めてアジア・アフリカから1か国が出場できることになり、アフリカからは3か国がエントリーした。ところが当時アジアに入っていたイスラエルとの対戦を他のアジア勢、アフリカ勢が次々と拒否し、イスラエルは1試合も戦わずに予選突破となった。このプロセスを問題視したFIFAが欧州予選で次点となったウェールズとイスラエルの間でプレーオフを命じ、ウェールズが本大会出場となった。
アフリカで独立が相次いだのが1960年前後のことである。独立前のモロッコには代表チームはなかったが、モロッコリーグ選抜という形のチームしかなかった。モロッコは1956年に独立し、翌年にサッカー協会を設立して代表チームを結成、1960年にFIFAに加盟、1962年のチリ大会の予選にエントリーする。6チームがエントリーしたアフリカ予選の代表が欧州のチームとプレーオフを戦った。このアフリカの6チームの代表となったのがモロッコである。モロッコはスペインとプレーオフを戦ったが、連敗し、本大会出場はならなかった。
1966年大会はアフリカ・アジア・オセアニアから1チームが出場できることになった。アフリカからは15か国がエントリーしたが、複数の地区から1チームしか出場できないということで、アフリカの15チームはすべて予選を棄権、結局北朝鮮と豪州しか予選を戦わず、北朝鮮が出場したが、アフリカ勢のボイコットと北朝鮮の活躍はその後の出場国の割り当てに影響を与えた。
■アフリカに出場枠が割り当てられた1970年大会で出場したモロッコ
1970年のメキシコ大会からアフリカから1チーム、アジア・オセアニアから1チームが出場できるようになった。ワールドカップ創設から40年、ようやくアフリカの代表を単独で本大会に送り込むことになった。ホームアンドアウエー方式のノックアウト方式で1次予選と2次予選を戦い、最終予選に進出する3チームを選ぶ。モロッコは1次予選はセネガルと対戦し、1勝1敗で、スペインでのプレーオフで勝ち抜き、2次予選はチュニジアと対戦、これも1勝1敗で、マルセイユでのプレーオフも引き分け、抽選で最終予選に進出する。最終予選はモロッコ、ナイジェリア、スーダンの間でホームアンドアウエー小式の総当たりのリーグ戦で行われ、モロッコが2勝1分1敗で首位、初めてのアフリカの代表となったのである。
モロッコの記念すべきワールドカップ本大会の初戦の相手は西ドイツであった。モロッコは先制したが、ウーベ・ゼーラー、ゲルト・ミューラーにゴールを割られ、逆転負け、第2戦もテオフィロ・クビジャスのペルーに敗れた。モロッコは最終戦のブルガリア戦で引き分けるのが精一杯であったが、アフリカのサッカーの歴史を作ったのである。(続く)