第29回 フランス、鬼門モスクワで冬将軍に初勝利

■フランスにとってロシア(ソ連)は親密な国

 世界で最もロシア料理のレベルの高い町はパリだと言われている。その理由は、帝政ロシアの崩壊時に西側に逃亡した貴族階級が料理人を連れてパリに落ちついたからである。ロシア正教のイベントのある日には、パリ市内の多くのロシアレストランが夜遅くまでにぎわう。
 現在、西欧の中で最も共産党の支持率が高いのはフランスである。テレビの方式もフランスのSECAM方式は東欧で広く採用され、宇宙でもアメリカのアポロ計画に対抗し、ソ連とフランスはソユーズ計画で協力をしていた。また、ソ連人のサッカープレーヤーをいち早く受け入れた西欧のクラブチームもフランスのトゥールーズFCである。
 このようにロシア(ソ連)とフランスは親密な関係を持っているかのようであるが、フランスにとってロシアは基本的にはナポレオンの時代からどうしても倒すことができない国である。
 将軍ナポレオンが唯一の敗戦を喫したのが1812年のモスクワ遠征である。この年5月に出発したナポレオンの大軍は夏にモスクワに攻め入ったが、10月になりモスクワの冬将軍にやられる。一足はやい冬の到来というホームアドバンテージを受けたロシア軍は猛反撃、結局モスクワ入城時に12万人だったフランス軍は1万5000人しか母国に帰還できなかった。

■第1回欧州選手権で、フランスは東欧陣営に惨敗

 サッカーにおいても、両国の歴史は政治的な背景を抜きには考えられない。ワールドカップが欧州と南米の戦いならば、欧州選手権は西欧と東欧、換言すれば資本主義対共産主義の戦いである。そもそもオリンピックイヤーに開催される欧州選手権は、冷戦下のオリンピックのステートアマの台頭に対して西側のフランスが提案してつくられたものである。1960年代の欧州選手権は現在と異なる方式で行われていた。予選を勝ち残った4チームが、そのうちのいずれかの国に集まりトーナメント方式で栄冠を争ったのだ。
 第1回の欧州選手権は1959年に開幕。フランスはオーストリアと予選を戦い、1959年12月13日にホーム(コロンブ)で5-2、年が明けてアウエー(ウィーン)で4-2と連勝し、本大会に進出し、第1回のホスト国となった。フランス以外に本大会に進出したのはソ連、チェコスロバキア、ユーゴスラビアといずれも東側陣営の国。西側陣営の期待を一心に集めたフランスであったが、7月6日のパリでの準決勝でユーゴスラビアと対戦、壮絶な点の取り合いとなり、フランスは62分まで4-2とリードしながら75分過ぎから3失点、結局4-5で敗れる。マルセイユでの3位決定戦ではチェコスロバキアと対戦したが0-2で落とし、最下位となる。東側陣営の総本山であるソ連が見事に優勝し、フランスの野望は砕けたのである。

■モスクワはフランス代表が勝ったことのない町だった

 フランスとソ連との対戦は通算でフランスの1勝6分4敗。ソ連解体後はフランスはロシアと親善試合で2回対戦し、それぞれがホームゲームで快勝している。まず1993年7月のカーンのミッシェル・ドルナノ・スタジアムの柿落としの試合。ジャン・ピエール・パパン、エリック・カントナのアベックゴールで3-1で勝つ。そして、今年3月のモスクワでの対戦は試合スコアこそ0-1の最小得点差であったが、試合内容は最低であり、フランス国内に3か月後に迫ったワールドカップ悲観論を巻き起こすことになった。
 欧州選手権で東側諸国が西側との戦いにファイトを燃やした冷戦時代は終結した。第1回の欧州選手権でフランスを訪れた3カ国はすべて解体されてしまっている。今回の対戦でもフランス代表は14人が外国のリーグに所属する選手であるが、一方のロシアのメンバーも12人は西欧のクラブに所属する選手である。
 しかしながら、2000年欧州選手権予選の初戦でつまずいた両国(フランスはアウエーでアイスランドと引き分け、ロシアはアウエーでウクライナに負け)にとって早くも落とせない試合となった。フランスにとってモスクワはナポレオン以来の鬼門であり、今まで6試合して1試合も勝っていない(3分3敗)。欧州の大都市で数少ない「フランスが勝ったことのない町」である。

■そしてモスクワでの初勝利、ロシアは第4組でピンチに

 そして迎えた10月10日、フランス代表は出場停止処分の解けたローラン・ブランとマルセル・デサイーがセンターバックを組む4バック、エマニュエル・プチとディディエ・デシャンが守備的MFに入り、守備的な布陣。攻撃的MFにはジネディーヌ・ジダン、ロベール・ピレス、ユーリ・ジョルカエフといったお馴染みのメンバー、FWには大胆にも弱冠19才で代表歴が1試合しかないニコラ・アネルカを1トップで起用した。
 このアネルカ起用が大成功し、13分には代表初ゴールを上げ先制点。続く29分にもピレスが追加点で2-0とする。これでロシアは足が止まったかに見えたが、45分にパリサンジェルマンDFで「フランスを最もよく知っているロシア人」ヤノフスキーがヘッドで反撃ののろしをあげ、56分にはモストボイがFKから同点ゴールを決める。このときフランスイレブンの脳裏を横切ったのは歴史の教科書でならったことしかない1812年の悪夢であろうか。
 ここから試合は、フランス・ジダン(ユベントス)、ロシア・アレニチェフ(ASローマ)というイタリアリーグに所属する選手を軸とした展開となる。そして81分、ジダンからパスを受けたピレスのセンタリングに反応し決勝点をあげたのは途中出場のアラン・ボゴシアンであった。その後もジダンの動きが冴え、90分にはゴール前まで持ち込みロシアGKのオブチニコフの反則を誘う(PKを得たもののブランが失敗)。
 結局、フランスは歴史に残るモスクワでの初勝利、一方連敗したロシアは苦しくなった。フランスは連勝したウクライナとの対決が今から楽しみである。なお、14日にはワールドカップ終了後初めての試合(アンドラ戦)がスタッド・ド・フランスで行われる。凱旋試合で弾みをつけて年を越し、3月27日のウクライナ戦を迎えて欲しいものである。

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