第43回 国外流出する若手タレント

■トップクラスの選手だけでなく、若手選手も国外へ

 前回の連載でも記したとおり、フランスでワールドカップを機にサッカーを始める若年層が増えてきたことは喜ばしい事実である。しかしその一方で、若手選手の国外流出という深刻な危機に瀕している。
 フランスではフェルナン・サストルやジャック・ブローニュなどの1960年代からの努力により、若手サッカー選手の育成に力を入れてきた。その努力の結晶が1984年のロサンゼルス・オリンピックなど数々のアンダーエイジのタイトル獲得である。大会数の関係で単純に比較はできないが、A代表が1984年の欧州選手権、1998年のワールドカップしかタイトルがないのと比べればこの活躍は高く評価することができる。
 これらの若手選手を育てているのは各クラブの育成機関であり、各クラブとも1970年代から力を入れてきた。各クラブが若手選手の育成に力を入れてきたのはもちろんクラブの強化という側面もあるが、育成した選手を他のクラブに移籍させれば移籍金が獲得できた面も見逃せない。
 だが、各クラブが手塩をかけて育成してきた選手が、「ボスマン判決」を機会に続々と国外のビッグクラブに流出し始めた。外国人枠と移籍金という二つの壁が撤廃され、大物選手以外も国外に移籍するようになった。第39回の連載で取り上げたニコラ・アネルカ(パリサンジェルマン→アーセナル)が好例である。アネルカがアーセナルに移籍したのは弱冠18才。また、ウスマン・ダボとミハエル・シルベストルのレンヌからインテル・ミラノへの移籍も話題となった。これらの若手選手はビッグクラブで見事に活躍している。

■育成システムが進むフランス、他国は「育成」よりも「獲得」

 欧州では各クラブのプロ予備軍の育成システムが完備していると考えている日本の読者の方も多いと思うが、実体は必ずしもそうではない。もともと町のクラブを起源とする欧州のクラブでは、クラブ会員がスポーツをするための施設は整っているが、プロ選手の育成という点ではそのレベルはまちまちである。プロ選手の集団を基盤として形成された日本のサッカーや米国の野球の方が、プロ予備軍の育成については標準化されているといえよう。
 欧州の中でもプロ選手育成システムのレベルが高いとされているのがフランスである。フランスはスポーツに限らず様々な分野のエリート教育制度がナポレオンの時代以来定着している。サッカーに関しては、設備・実績ともに評価が高いのがナント、リヨン、オセール、モナコなどである。また、ビッグクラブもスモールクラブもほとんど同じレベルの育成機関を有していることも特徴である。現在は2部に甘んじているカンヌやニースの育成機関はビッグクラブのものよりも整備されており、特にカンヌはジネディーヌ・ジダンを生んだだけではなく、過去8年間で約50人のプロ選手を輩出している。
 他国ではこのフランス流の選手育成に追随する動きにある。80年代後半のレアル・マドリッド黄金時代を築いたのは自前で育成した選手であり、90年前後のACミラノ全盛期も同様であった。しかし、現在多くのクラブはその予算の半分を大物選手の獲得に費やしており、選手育成にかける費用は数パーセントにすぎない。育成システムが整っているクラブは少数派である。
 ドイツの選手育成はフランスに20年遅れていると言われており、2006年のワールドカップ開催に向けた課題としている。イングランドでもアルセーヌ・ベンゲル(アーセナル)、ジェラール・ウリエ(リバプール)というフランス人監督がまず驚いたのが育成機関の不備である。FAでは1997年秋からフランスを真似て、育成内容やコーチ、ドクター、グラウンドの数などの条件を規定したアカデミー制度を導入した。イングランドのクラブで最高の内容を誇っているアカデミーはウリエのリバプールであり、20ヘクタールの敷地にある10面の芝のグラウンド、プール、トレーニングルームなどで欧州中から集まった180名の生徒(8才から21才)が研鑽している。

■「学業との両立」を目指すフランスの若手育成方針

 このような動きがあるものの、欧州のビッグクラブのフランス若手選手をめぐる争奪戦は過熱する一方である。本連載の第39回でも取り上げたフランスとポルトガルのジュニアB1(U-16)代表とジュニアB2(U-15)代表戦には、A代表のフランスvsモロッコ戦をパスして多くのスカウトが集まった。彼らの目的はジュニアB2のジェレミー・アリアディエール(INFクレールフォンテーヌ)。彼はこの試合の3日後、アーセナルと契約を結んでしまった。アリアディエールだけではなくミドルティーンの選手へのリクルート活動はエスカレートしている。
 このような低年齢層の選手の乱獲に対してフランス側は難色を示している。問題はこれらのMade in Franceの選手の成長と活躍を国内で見られないだけではない。彼らがフランス流ではなくイングランド流あるいはイタリア流で成長し、将来代表チームを構成したときに調和がとれないことを危惧している。アトランタ・オリンピックなどアンダーエイジの大会の活躍でアフリカの時代が予見されたものの、若手タレントが欧州に流出し、実現しなかった例を考えると妥当であろう。もちろん、根底にはせっかく育ててきた選手が大金で外国に引き抜かれることに対する感情的な問題があることは否めない。
 最後に、フランスの育成機関が軒並み「学業との両立」を前面に打ち出していることも忘れてはならない。選手のために家庭教師を用意することは当然、地元の学校と交渉して補習授業などを行っている。フランスにはスポーツ推薦入学制度はなく、進級率、バカロレア(大学進学資格)取得率などが重要な指標である。フランスのプロ選手が英語が堪能なのも彼らが若年時に学業を怠らなかったためである。前述のカンヌの育成機関にとって最高に誇るべきことはジダンを輩出したことでもなければ、8年間で約50人のプロ選手を生んだことでもない。彼らにとって最も誇るべきことは現在の研修生が全員進級し、高校卒業時点でのバカロレア取得率が80%とフランス平均を大きく上回っていることなのである。

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